20131206

Pasta Con Le Sarde

 僕は美味しいものを食べるのが大好きだ。だから美食家や食通と称されるような人になりたいと思っていた。鋭敏な味覚が人に評価されることに憧れていた。でもなれなかった。例えば焼津の漁港で水揚げされたばかりの鰹を、例えば上海の有名な高級店で子持の蒸し蟹を、例えば伊勢佐木町の老舗でブランド牛のすき焼きを食べると、とても幸せな気持ちになる。そして残念なことに、マクドナルドでビッグマックを食べても、富士そばでコロッケそばを食べても、街の定食屋で生姜焼きを食べても、同じように幸せな気分になってしまう。要するに僕は美食家とはほど遠い、ただ食い意地が張っているだけの味音痴なのだ。なにを食べても美味しく感じるので、焼き加減がまずいだの下処理がなっていないだの、ことあるごとに眉間にしわを寄せる美食家よりも、ある意味では恵まれているのかもしれない。
 味の善し悪しを語れるだけの舌を持ち合わせていない僕がいうのはおこがましいのだが、昨今の食についての風潮に一言——なんでもかんでも塩で食べさようというのは面白くない。ちょっと気取った薄暗がりの店で料理が供されるときに、店員さんが「素材そのものの風味を楽しんで頂きたいので、是非お塩だけでお召し上がりください。」なんてことをいう。出されるのは取り立てて騒ぐほどのことはない、揚げ物や焼いた肉だ。刺身や茹で野菜まで塩で食えと迫られることもある。もちろん塩だけで食べるのが最良の選択という場合はたくさんある。よく太った江戸前穴子の、皮の香ばしさを味わうなら白焼きが一番だし、真夏に熟れたトマトや瑞々しいきゅうりを、穫ったそばから塩を振ってかじりついたときの美味さといったらない。材料の質の高さや新鮮さは自慢になるだろうが、料理を出して金を取ろうという者が、それにべったり寄りかかってはいけない。いい食材に塩をかけて食うだけなら誰がやったって美味いのだから、わざわざその店で食べる必要がないじゃないか。僕は作り手が感性や経験を注いでこしらえた料理を味わいたい。
 シチリアのパレルモにパスタ・コン・サルデという、鰯が主役の郷土料理がある。おろした鰯とウイキョウの葉、松の実、干しぶどうを合わせて煮込んだものに、ブカティーニやスパゲティなどの太いロングパスタを絡め、仕上げにオリーブ油で煎った香りパン粉をまぶす。これがとびっきり美味い。魚臭さはまったくなく、むしろ鰯とはこんなにいい香りのする魚だったのかと驚かされるのだ。爽やかさと野性味が同居したウイキョウ特有の苦みが鰯の風味を増幅し、松の実のコク、干しぶどうの酸味や甘みは鰯の旨味と解け合ってヴィヴィッドな味わいをもたらす。一般的な日本人の感覚からすれば、あまり馴染みのないウイキョウはさておき、鰯と松の実や干しぶどうを一緒に料理することには違和感があるだろう。だがこれが想像をこえた相性なのだ。鰯が嫌いな人、松の実や干しぶどうが苦手な人にこそ食べてもらいたい。絶対に美味しく食べられると保証する。初めて感じる奥深い風味に心酔するに違いない。組み合わせの妙でそれぞれの材料が持つ魅力を互いに際立たせるパスタ・コン・サルデは、料理の真骨頂といっていい。この料理に使われる鰯は日本でなら刺身にするような獲れたてのものだが、パレルモの料理人たちはそんなことを鼻に掛けない。鮮度の良さは当たり前、最低条件だからだ。彼らは材料の配分、煮込みの時間や火加減、麺を絡める間合いなどの調理方法を独自に追求していて、それにこそ誇りを感じている。自分の舌と腕が自慢なのだ。臆面もなく「素材のよさを感じるために味付けは塩だけでシンプルに…」などとうわごとを語る似非料理人は、一度パレルモにいってパスタ・コン・サルデを食べていらっしゃい。

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