20130320

Incredibleman

 青い空、赤茶けた地面、乾いた空気。風ひとつ吹かず時間が止まったような午後、陽は西に傾きはじめている。広い広いとうもろこし畑の脇に一台の大きな高級車が停まっていて、その後部座席に中年の男が二人座っている。二人とも身奇麗で品がある。ゆったりと煙草をくゆらせながら、静かに何か話をしている。その話し振りから、二人は古くからの親しい友人同士なのだろうとうかがえる。周囲にひと気はなくとても静かだ。ちり、ちりり。男が煙草を吸うたびに、小さく燃える火種の音が際立つ。

  突然頭に浮かんだ光景。昔観た映画の一幕だ。何という題の映画だったか、どんなお話だったか、まるで思い出せない。それどころか、この場面が思い出されたこと自体が奇跡なのではないかというくらい、脳味噌の隅に追いやられていた記憶だった。なぜいまになって思い出したのかわからない。一度意識すると妙に気になる。何度も同じ情景を頭の中で反芻した。
 風呂から上がってビールを飲んでいるときもあの映像が気になる。もう一度観たいと思うようになっていた。でも情報が少なすぎて詳細を知るすべがない。何か思い出せることはないかと、頭の中をぐるぐるとかき回してみる。小さな液晶画面と簡易テーブルのイメージがふと湧いて出た。ああそうか、飛行機で観たんだ。旅行にいったときにたまたま目にした映画だった。どこへいったときだろう。十代の頃か、二十歳を過ぎた後か、いずれにせよ、ずいぶん昔のことのような感じがする。そうなるとこの映画の題名を思い出すのは難しそうだ。もともと知らない可能性だってある。題名から探るのはあきらめよう。
 もっと思い出せることがないか、また頭の芯をぐりぐりやってみる。 後部座席の左側に座っていた男は、笑顔がチャーミングな禿頭の小男だった気がしてきた。ハリウッド映画でよく見る名脇役の俳優だ。名前が出てこないのでインターネットで「ツインズ シュワルツネッガー」と検索したらすぐにわかった。そうそう、ダニー・デヴィートだ。出ている役者がわかれば、案外簡単に何という作品だったかわかるかもしれない。今度は「ダニー・デヴィート」と検索してみる。出演作品のリストに思い当たるタイトルはない。あらすじも片っ端から調べたが、それらしい作品は出てこない。ダニー・デヴィートは出演していなかったということなのか。
 人の記憶なんて曖昧だ。少なくとも僕の記憶はまったくあてにならない。ただ忘れるだけならまだしも、ときには自分の都合のいいように、事実をねじ曲げて覚えていることだってある。信用しては駄目だ。ダニー・デヴィートが出演していた気がしたが、本当に出ていたかなんてわかりやしない。そう考えはじめたら、いろいろなことが疑わしく思えてきた。僕がとうもろこし畑と思い込んでいる場所は、さとうきび畑だったかもしれない。雑木林かもしれないし、野原の可能性だってある。二人が座っていたのは高級車の後部座席ではなく、トラックの運転席だった可能性も考慮したい。だとするなら身奇麗な服装ではなく、作業着姿だったのかもしれない。
 どんどん自分の記憶に自信が持てなくなり、さっき髪をゆすいでいたときに鮮明だったイメージはいま、まったく霞んでいる。もはやこの映画を機内で観たのかどうか、いや、そもそもそんな映像を本当に観たのかどうかさえ、怪しくなってしまった。ああ、頭が痛くなってきた。考えれば考えるほど、もう一度観たいという思いは強くなる。あの穏やかで眠気を誘う美しい映像を、僕は再び目にすることができるのだろうか。

20130319

A Pepper Mill

 去年イスタンブルで買ったペッパーミルがさっき出てきた。帰った直後にリュックから放り出したままになっていて、存在自体を忘れていた。一目惚れして買ったはずの品物を、あっさり忘れてしまういい加減さにあきれるばかりだ。
 イスタンブルの街をあてもなく歩いていると、合羽橋のような食器や調理器具の問屋街に迷い込んだ。その一角、金物を専門に扱う小さな店で、このペッパーミルを見つけた。筒状の真鍮製で、片手で握るとちょうど収まるくらいの太さと長さ。頭に付いている華奢なクランク型のハンドルを指でつまんで回すと胡椒が挽ける仕組みだ。受け皿を兼ねる末広がりの台座には花柄の彫刻が施されている。派手ではないが丁寧なつくりで存在感を放つ。古くから交通の要所として栄え、東西の多彩なスパイスが集まったイスタンブルで、美しいペッパーミルと出会ったら買わない手はない。

 僕はいつも成田の税関で止められる。係官たちがどんな基準で尋問する相手を選ぶのか知らないが、どうやら僕はその条件を満たしているらしい。どこにいったのか、何をしにいったのか、だれといったのか、と根掘り葉掘り聞かれる。そして必ず荷物を開けて見せろと指示される。イスタンブルから戻ったときもそうだった。若く実直そうな女性の係官にパスポートを手渡すと質問攻めにあい、リュックを開けさせられた。着古した洋服にまぎれたペッパーミルを目にした瞬間、彼女の表情が変わった気がした。高揚しているような、緊張しているような、笑っているような、一瞬だけそんな顔を見せた。
「これはなんですか?」
彼女が僕に聞いた。
「ペッパーミルです」
彼女の表情は硬い。
「ペッパー…?なんですか?私にわかるように説明してください」
「えっと…ペッパーミルです。胡椒を挽く…」
「???」
「ほら、ここをこうクルクル回すと下から胡椒が出てきます」
「ああ!胡椒を挽く道具ですか」
「そうそう、そうです。」
「ご協力ありがとうございました。結構です」
彼女は“いってよし”という顔をして見せ、僕は解放された。

 日本随一の国際空港で働き、さまざまな国からの訪問者と話をする機会が多いはずの彼女が、なぜペッパーミルという簡単な言葉を理解しなかったのか不思議だったが、そのときは気に留めず、いわれるがまま指示に従った。いま思うと、洗濯物の中からペッパーミルが出てきたときの緊迫した雰囲気は異様だった。彼女はこの真鍮製の道具をほかの何かと思い込んだのではないか。もしそれが薬物を吸入する器具に見えたとすれば、にわかに緊張感が高まるのもうなずける。ぱっと見た印象は、ギャング映画なんかで悪党がマリファナをぷかぷかやっているシーンに出てくる道具に似ていないこともない。生真面目な彼女にしてみれば、一人旅の怪しげな男の荷物から怪しげな品が出てきたのだ。見逃す訳にはいかないだろう。ともすると入職して初めての大捕り物になりかねない事案に緊張し、少しワクワクもしたのかもしれない。そう考えて思い返すと、僕を解放したときの彼女はほっとしたような、がっかりしたような、複雑な顔でいたような気がしてきた。そうか、僕は違法薬物を密輸している疑いをかけられていたのか。まさかペッパーミルひとつで犯罪者扱いをされるなんて。

20130316

I noticed you had been my longtime friend when you left me.

 ずいぶん髪が伸びた。どのくらいといえばいいか。世間一般には「サラリーマン失格」という程度。ずっと短髪だった。大学生のときは丸坊主だったし、その後も月に一度は散髪をして短くしていた。だがこの1年あまりはまったく髪に鋏を入れていない。
  このところよく女性に「どうして髪を伸ばしているの?」と聞かれる。彼女たちは別になぜ僕が髪を伸ばしているのかを知りたい訳ではない。「短くした方がいいよ」と優しく諭してくれているのだ。ところが僕は、なじみの美容師が突然店を辞めて散髪するところがなくなってしまったからだと、あえてとんちんかんな返事をする。彼女たちのアドバイスに気づかないふりをしてまで、髪を伸ばさなければならない理由がある。
 ここ数年抜け毛の量がすごい。最近は頭を手で触ると、頭頂部と側頭部で密度が違うのがわかる。つむじの辺りの毛が明らかに少なくなっている。しばらくは気のせいだと自分に言い聞かせてきたが、もう無理だ。認めなければいけない。僕は禿げはじめている。

 僕の父は50歳を過ぎた頃から徐々に額が広くなりだした。65歳になったいま、彼はまだデコッパチという格好で、禿と呼ぶには時期尚早だ。父方の祖父は僕が物心ついたときにはもう立派な禿頭だった。父と同じように額から広がるタイプの禿だった。一方で母方の祖父も禿げていた。頭頂部から広がったことが伺える形の禿だった。そしていま、つくづく思い思い返されるのは母方の伯父のことだ。僕が小学生だったとき彼はおそらく40代。十分に禿と呼べるくらい頭頂部の毛髪が薄かった。
 たくさんの人が抱いているであろう禿についてのイメージが僕にもあった。つまり「父方の家系の禿が遺伝する」と信じていたのだ。だから僕は、当然額から禿げるものと思っていた。そして、禿げはじめるのは父と同じように50代を迎えてからだろう、とのんきに構えていた。現実は違った。30代でつむじから禿ている。ものの本によると、母方の祖父と伯父がともに禿げている場合、その禿は1/4の確率で引き継がれるそうだ。幼い頃遥か大人に見えた伯父の年齢は、いま僕の目と鼻の先に差し迫っている。残された時間は少ない。ずっと長髪へのあこがれはあったけれど、いつでもできると思っていたし、長くなるまでが億劫に感じられて伸ばさずにいた。でも「いつでもできる」は幻想だった。伯父の道程を追いかけている僕にとっては「いましかできない」のだ。それに気づき、あわてて髪を伸ばして今日にいたる。駄目になるまでのわずかなひととき、長髪を楽しみたい。だいじょうぶだぁ時代の志村けんの心持ちである。どうか暖かく見守ってほしい。

 この間ひさしぶりに会った友だちが、僕の髪を見て「スケベなイタリア人みたいだね」といった。長い髪をほめてくれる人もいるみたいだ。

20130314

Worthlessmen Blues

 大阪の四天王寺にいた。聖徳太子が建立した、日本で最も古い仏教寺院のひとつとされる寺で、友だちと待ち合わせをしていた。どんよりと曇り底冷えする夕方、拝観時間を過ぎていてお堂に参ることはできなかったので、境内の隅で友だちがくるのを体を揺すりながら待った。
 しばらくすると、一足先に寺に着いてお参りをしていた友だちが出てきて、大阪での旅の仲間が全員揃った。総勢10名あまり。ひさしぶりの再会だったが挨拶もそこそこに、まずはどこか店に入ろうということになった。とにかく寒いので立ち止まっていたくなかったのだ。とはいうものの、この界隈にはたこ焼き屋も串かつ屋も見当たらない。通天閣を目印に新世界方面へ歩きはじめた。あまりの寒さに皆からだがこわばって口数が少ない。四天王寺の山門を出た辺りで友だちのひとりがぼそっとつぶやいた。
「四天王ってさ、ろくでなしブルースに出てきたね」
別の友だちが応える。
「あったね。浅草の薬師寺と渋谷の鬼塚と…あとだれだっけ」
「……」
「そういや、ろくでなしブルースに大阪編ってのもあったな」
「あぁ。修学旅行のやつだ」
「そう修学旅行。前田さんの昔の彼女が登場するんだよね、ポニーテールの」
「「「「ポニーテール!」」」」
「ポニーテール…懐かしい響きだなあ」
「いいよね、ポニーテール」
「うん、いいよ、ポニーテール」
「『ポニーテール』って言葉、ろくでなしブルースで知ったよね」
「そうそう、ジャンプで読んで知ったんだ」

  僕たちはかつて、『ランチコート』という言葉もろくでなしブルースから学んだ。

20130312

Sauce

 「休みの日はなにしてるの?」同僚によく聞かれる。「なんもしてないっす」と僕は答える。すると決まって同僚は気まずそうな顔をする。僕は人に隠さなければならないような後ろめたい休日を過ごしている訳ではないし、その場の会話を避けるつもりもない。ただ何もしていないのだ。充実した休日を送っていないせいで 、会話が途絶え居心地の悪い思いをさせてしまって、申し訳ない気持ちになる。できることなら同僚と楽しく会話したいけれど、何もしていない休日をテーマに、あれこれと話をするほどの話術が僕にはないので、それ以上弾ませることができない。
 冬は元気が出ない。何もする気が起きない。だから休日には何もしない。もちろん誰かに誘われれば喜んで出かけるが、予定のない日は断固何もしない。前日までにおかずや酒のアテになりそうな食材を買い込み、準備を整えて引きこもる。気に入りのソファーに身をゆだねて根を生やす。トイレに立つのも億劫だ。映画や音楽を垂れ流しにして、昼も夜もなくぼんやりする。寒い時期、これが最高に幸せな過ごし方だ。
 引きこもりの事前準備がなおざりなまま休日を迎えてしまうこともある。休みを半分も残して食料が尽きてしまうのだ。買い物には出かけたくないので、そんなときは出前を取る。近所のとんかつ屋に弁当を頼むことが多い。揚げたてのとんかつにサラダやみそ汁をつけて持ってきてくれる。さほど安くはないが、美味しいしご飯の大盛りが無料なのでとても気に入っている。
 贔屓にしているとんかつ屋のことを、あまり悪くいいたくはない。でも弁当に添えられるソースの量については、難ありといわざるを得ない。蓋のついた透明のプラスティック容器に入れられたソースが、いつもあまりに少ないのだ。一切れずつソースに浸して食べたいが、半分も食べる頃にソースはなくなってしまう。とんかつに直接かけてもずいぶん足りない。これまで何度か電話で注文するときに、ソースを多めに入れてほしい、とおねがいをした。そのたびに注文係のアルバイト君は「ソース多めですね!わかりました!」と元気よく返事をしてくれたが、たっぷりのソースが添えられることは一度もなかった。もはや同じおねがいはできない。ソースくらい自分で買ってくればいい、という声も聞こえてきそうだ。ところがこちらは断固引きこもると誓いを立ててしまっている。外出する訳にはいかない。徒歩1分のコンビニに、ソースを買いにいくなど言語道断だ。仕方なく僕は現状を甘んじて受け入れ、ちびりちびりとソースを節約しながらとんかつを食べていた。
 あるときいつもと同じように、ソースの少なさに憤りながら美味しいとんかつを食べていると、誰だったかお笑い芸人が「とんかつに醤油をかけて食べるのが旨い」と話すのがラジオから聞こえてきた。勝烈庵の勝烈定食で育ち、ソースをたっぷりかけて食べるのが当たり前と認識していた僕にとって、その言葉は衝撃だった。まさかとんかつにソース以外の調味料を使う人間がいるなんて。味を想像できない。とんかつとソースは対の関係で、いわばタイヤとホイールのようなものだ。果たしてソースをかけないとんかつを、とんかつと呼べるのか。
 もしもソースの代わりに醤油を使って、とんかつを美味しく食べることができれば、ずっと悩まされ続け、いままさに直面している「ソースが足りない」問題は解決を見るかもしれない。しかし30代も半ばを迎え、柔軟性が失われつつある僕にとって、とんかつに醤油を垂らすのはとても勇気がいることだ。長い年月をかけ築いた、僕の中のとんかつ像が崩壊しないとも限らない。僕はとんかつをしばらく見つめていた。そしてひらめいた。「あいだをとればいいじゃないか!」
 間を取る。自分と相容れない他者を否定せず、互いに譲歩して穏便に問題を回避するために必要なスキル。組織の一員として働く中で培った。若い頃にはできなかった発想だ。歳を重ねるのも悪くない。とんかつを醤油で食べることは難しいが、間を取ることならできそうだ。ソースの入った容器に醤油を注ぎ箸で混ぜた。ソースと醤油の割合は3:2くらい。とんかつを一切れ浸して食べてみる。旨い。辛子を溶かすともっと旨い。

20130310

Steve Buscemi

 オールズモビルのカトラス・シエラという車。FF、2,500cc、直4、アメリカ車の特徴をすべて切り捨てたようなアメリカ車だ。80年代、高性能な日本車の人気におされ、アメリカ車は売れず困窮していた。日本車を真似れば人気を取り戻せるのでは、と安直に生産された駄作だった。田舎の中流層にはそこそこ売れたが、ビジネスとしては失敗、その後オールズモビルというブランドは消滅してしまう。

  弟に「ファーゴ」という映画を勧められた。彼の推す映画はいつもおもしろい。雪に包まれたアメリカの田舎町、自動車販売店で働く冴えない男が金に困り、偽装誘拐をして身代金をかすめ取ろうとするお話。全編を通してぼやっとした時間が流れ、センセーショナルな殺人が次々に起こるのに、悲壮感や切迫感がまったくない。退屈な夜中にうとうとしながら眺めるのにいい。ちんけな悪党に扮するスティーヴ・ブシェミの存在感がすばらしかった。彼の卑しく下品で狡猾な振る舞いは一級品だ。鞄を雪に埋めるシーンは屈指の名場面だと思う。「デスペラード」で出会って以来彼のファンだが、この作品でさらに好きになった。
 弟はブシェミが駆る車に惹かれた。どこのなんという車かわからないので、僕に映画を観て車種名を教えてほしいと頼んだ。その車がカトラス・シエラだった。弟がこの車を欲しくなる気持ちは、とてもよくわかる。どこをどう見てもかっこいい部分がなく野暮ったい。燃費が悪くパワーもない。重く遅い。でも肩の力が抜けていて気負わない感じがいい。ゆったりとシートに背中を預け、田舎道をのんびり走りたい。
 残念ながら日本でこの車に乗るのは難しそうだ。この車が作られていた当時、日本はバブルでアメ車ブームだった。多くのマッスルカーやフルサイズセダンが輸入されたが、この手の親父セダンは入ってきていない。アメ車らしからぬアメ車は日本のマニアにも評価されなかったのだ。どうしても欲しければ、アメリカ本国に探しに行って個人輸入し、日本の法規に合わせて調整と整備をしなければならない。乗りはじめた後も部品の確保と故障の対応に追われはずだ。ゆったりのんびりは夢のまた夢、常に眉間にしわを寄せ、神経を尖らせて乗るはめになる。ブシェミを気取るなら、カトラスを輸入するより自分がアメリカの田舎に移住して、適当な中古車に乗る方が手っ取り早そうだ。

  ブシェミのことを考えていたらまた「デスペラード」を観たくなった。寝る前にDVDをかけよう。僕は「デスペラード」の冒頭、彼が酒場で語る場面がとても好きだ。

20130308

An Oyster Attacks...

 友だちが仕事でフランスとイタリアを巡っている。パリでの写真がSNSにポストされていた。山と盛られた牡蠣や蟹や海老の写真。冬のパリ、街の角々にある食堂では、生の牡蠣を食べさせる。ゴム長靴とゴムエプロンをまとった恰幅のいいおじさんが、店先で鼻歌まじりに牡蠣を剥いている。3月とはいえまだ寒いはずのパリでは、よく太り身の詰まった牡蠣を味わえるにちがいない。

 去年の暮れ、別の友だちが仕事でイギリスへいった。ロンドンで催されるイベントに出展したあと、数週間かけて付き合いのあるイギリス各地の旅行代理店に挨拶回りをするというのがミッションだ。日本の旅行代理店で、イギリスからの観光客のコーディネートをしている彼女は、長年電話やメールでやり取りをしてきたが未だ見ぬ仕事のパートナーたちと対面するのを、楽しみにしていた。いわば「ご褒美旅行」の出張だ。日本からのお土産をたくさん携えてイギリスに向かった。
 ロンドンでのイベントが終わり、現地の社員から食事に招かれオイスターバーにいった。彼女は牡蠣が駄目だ。しかし「ロンドンの牡蠣は世界一だ」とばかりに笑顔で勧められるのを無下にはできず、いくつか箸をつけた。牡蠣は不味いが楽しい夕食会を終え宿に帰ると、それからが地獄だった。朝まで戻し下し続けた。翌日になっても一向によくならず、苦しみは続く。病院の救急病棟で点滴を受けてもあまり変わらなかった。
 仕方なく東京のオフィスに状況を報告した。案の定「挨拶回りはすべてキャンセルし、すぐに戻れ」との指示が返ってくる。泣きながら各地の旅行代理店に詫びのメールを送り、その後はひたすら宿のベッドに突っ伏して、体調がよくなるのを待った。数日後になんとか回復の兆しを見せたので、帰りの飛行機の切符を探したが、手頃なものが見つからない。目が飛び出るくらい高く、香港経由でやたらと時間がかかる便の切符をどうにか手配し、げっそりとやつれたまま帰国した。各地の仲間に渡すつもりだった日本のお土産は、全部ロンドンの宿に置いてきた。「牡蠣なんて二度と食べない」と彼女。そりゃそうだ。

 いまパリにいる友だちのお腹の具合はどんなだろう。新しい写真がポストされている。 大きな銀色のポットと白いコーヒーカップ、それと牛乳の写真だ。フランス人は朝にものすごい量のカフェオレを飲む。元気そうでなにより。