15年ぶりにバンコクを旅したという記事が、友だちのブログにポストされていた。ひさしぶりに訪れた街は、印象があまりにも変わっていてしっくりこなかったようだ。「グレーな街並みは東京のようで、夜のにおいまでもが夏の東京のにおいのよう。」「大都市というのはどこでもどんどんその個性を失って似てきてしまうのだろうか?」
かつてのタイ旅行を思い出した。夜の空港に降り立つと、亜熱帯特有の粘った空気にむせる。路線バスに乗ってバンコクの中心部までやってきて、カオサン通りで安い宿を探すがどこもいっぱい。途方に暮れた。重たいリュックを背負ったまま、汗と埃にまみれて歩き回り、どうにか寝床を確保したのは夜中だった。荷物を下ろすと疲れが溢れ出す。そのままベッドに倒れ込みたくもあったが、それ以上に腹が減っていた。根を生やしてはいけないと、慌てて部屋を飛び出す。広い十字路の角に屋台があり、特大の寸胴鍋に粥が炊かれていた。鶏の出汁の匂いが腹ペコの食欲中枢を刺激する。ほとんど反射的にその粥を注文した。お姉さんが丼に粥をなみなみ注ぎ、そこに生卵を落としてくれた。この熱々の粥の美味いこと!汗と鼻水は垂れ流しにして、ひと息にかき込んだ。
ときが経てば街は変わる。またバンコクにいっても、あの粥を味わうことはできないかもしれないなと、友だちのブログを読んで少し寂しい気持ちになった。
旅行した場所に順番をつけることなんてできない。でもシチリアは、とりわけ学生時代に二度続けていったパレルモは、僕にとって特別だ。初めての一人旅でサイレンの鳴り止まぬ夜道に恐怖し、一生忘れられない美食の数々に毎日驚き、昼寝をしていた公園で出会った年上の日本人女性に恋をし、ともに旅をする友だちと宿のベランダで夜風にあたり、ワインをラッパ飲みした記憶は、いまや僕の血や骨といっていい。
先月そのパレルモを三たび訪れた。十数年ぶりだ。手はじめに国鉄の駅に向かった。この駅から旅をスタートさせたかった。僕の頭の中にある街の地図は、駅を中心に描かれていて、だから駅にいけば土地勘が甦って、どこにでも不自由なくいける気がしたからだ。駅は変わっていなかった。列車の行き先や発車時刻を知らせる掲示板こそ電子式の真新しいものになっていたが、コンコースやプラットホーム、券売所は昔のままだ。それだけじゃない、キオスクの匂い、シチリア訛りの構内アナウンス、トイレの薄暗さまでもが当時と一緒だった。懐かしい。駅から頭の地図を頼りに西へ歩き、市場にいった。ここも昔と変わらない。色鮮やかな野菜や果物が山と積まれ、大きなカジキマグロが氷の上に鎮座し、「肉とは獣の屍である」ということがよくわかる形の肉がずらり吊るされている。市場のあとは旧市街を散策し、気に入りの教会を巡る。どこも変わっていない。懐かしい、懐かしい。
ひとしきり思い出の地を歩いたあと、一服しようとバールに寄った。絞りたてのオレンジジュースを飲みながら、 今朝から心の隅にくすぶっている感情と向き合わなければ、と考えていた。僕はパレルモを物足りなく感じていたのだ。いや、決してつまらなくはない、駅も市場も旧市街もとても楽しい。すっかり忘れていた過去の旅の記憶がここに来て次々に思い出され、感動さえしている。でも身震いするような高揚がないのだ。あんなに大好きで再訪を心待ちにしていたパレルモを、物足りないと感じてしまうことが悲しかった。 友だちのブログ記事を思い返す。彼女はバンコクの変わりように、ある種の喪失感を抱いていたのだと思う。僕はいま、昔となにも変わっていないパレルモで、バンコクの彼女と似た気持ちになっている。なぜか。
変わったのは僕だ。成長したのか衰えたのか、とにかく十数年前の僕とは違っている。 だからあのときといまと、同じ街を歩いても感じ方が違うのは当然。でも僕は無意識に、かつての目くるめく体験を反芻し、興奮をなぞろうとしていたのだと思う。そしてそれをできないでいることが悲しかったのだ。喪失感や寂寥感は、パレルモにではなく僕自身に対するものだった。
昔の旅を追いかけている限り、僕は満たされないだろう。早く心持ちを入れ替えた方がよさそうだ。でもその前に、もうひとつ過去をなぞりたい場所があった。トラットリア・アンタリア。国鉄駅のほど近く、ローマ通りから少しそれたところにある食堂だ。4人掛けのテーブルが4、5脚ほどの、洒落っ気のないこぢんまりとした店で、料理がどれも抜群に美味い。初めてパレルモに来たときに、ふらり入って衝撃的な味に惚れ、以来何度となく足を運んだ。あそこで食事をすれば、かつての興奮をもう一度味わえるに違いない。 オレンジジュースの支払いをして、アンタリアに向かうことにした。頭の中の地図にはしっかりとピンが打たれている。脇目を振らずに歩いた。店の前に着くと、扉は閉ざされ大きな南京錠が掛けられていた。どうも今日だけ閉まっているという風情ではない。扉には短い文と電話番号が書かれたプレートが貼られている。イタリア語はわからないが、意味はわかった。「貸店舗」と書かれているのだ。アンタリアは潰れていた。
頭の中が真っ白になり、しばらく扉の前で立ち尽くした。あの味に出会うことは二度とない。あの感動はもう戻ってこないのだ。絶望した。しかし反面、潰れているとわかった直後から少し心が軽い。もう昔の足取りをたどらなくていい。僕は自由だ。いい旅になりそうな予感がする。
20131030
20131024
The Libatape
患者に「リバテープちょうだい。」といわれた。リバテープ…。わからなかったので聞き返すと「カミソリに負けて血が出たからリバテープちょうだい、小さいのがいいよ。」と戻ってきた。なんのことだろう。ナースステーションに戻って同僚に「リバテープってわかる?」と聞くと、変な顔をされた。僕が困っていると、同僚は面倒くさそうに包交車から絆創膏を出して僕によこした。「え?これバンドエイドじゃん。」というと、同僚はまた訝しげな顔をしてどこかへいってしまった。なにがなんだかさっぱりだ。
北海道出身の先輩に聞いて謎が解けた。僕はまったく知らなかったのだが、絆創膏は地域によって呼び方が違うのだそうだ。神奈川出身の僕がバンドエイドと呼ぶそれを、沖縄ではリバテープというらしい。戻ってきたさっきの同僚にことの次第を話した。沖縄出身の彼女もまた、絆創膏の呼び名が地域で変わることを知らず、だから僕が「リバテープ」を認識しないなんて、露も思わなかったという。そして僕がバンドエイドといったのを聞いて、お前はなにを気取っているんだ、と思ったそうだ。沖縄人は「バンドエイド」という響きに、えらく格好を付けた印象を受けるのだと。どうりで話が噛み合なかったわけだと笑っていると、先輩が「北海道ではサビオっていうんだよ。」と教えてくれた。
絆創膏のことをカットバンと呼ぶ看護師や医師は多い。いまいる病院でもそうだし、以前いた横浜でもそうだった。看護学生時代に実習でいったあちこちの病院でもよく耳にした。思い返せば小学校の保健室の先生も、カットバンといっていた。医療従事者以外の人がカットバンと呼ぶのを、僕は聞いたことがない。だから「カットバン」というのは専門用語なのか符丁なのか、なんにせよ医療界特有の言い回しだと思っていた。でもいまとなっては、そうともいい切れない気がしている。絆創膏のことを、誰もがカットバンと呼ぶ地域があってもおかしくはない。
北海道出身の先輩に聞いて謎が解けた。僕はまったく知らなかったのだが、絆創膏は地域によって呼び方が違うのだそうだ。神奈川出身の僕がバンドエイドと呼ぶそれを、沖縄ではリバテープというらしい。戻ってきたさっきの同僚にことの次第を話した。沖縄出身の彼女もまた、絆創膏の呼び名が地域で変わることを知らず、だから僕が「リバテープ」を認識しないなんて、露も思わなかったという。そして僕がバンドエイドといったのを聞いて、お前はなにを気取っているんだ、と思ったそうだ。沖縄人は「バンドエイド」という響きに、えらく格好を付けた印象を受けるのだと。どうりで話が噛み合なかったわけだと笑っていると、先輩が「北海道ではサビオっていうんだよ。」と教えてくれた。
絆創膏のことをカットバンと呼ぶ看護師や医師は多い。いまいる病院でもそうだし、以前いた横浜でもそうだった。看護学生時代に実習でいったあちこちの病院でもよく耳にした。思い返せば小学校の保健室の先生も、カットバンといっていた。医療従事者以外の人がカットバンと呼ぶのを、僕は聞いたことがない。だから「カットバン」というのは専門用語なのか符丁なのか、なんにせよ医療界特有の言い回しだと思っていた。でもいまとなっては、そうともいい切れない気がしている。絆創膏のことを、誰もがカットバンと呼ぶ地域があってもおかしくはない。
20131023
Colors
中学時代は退屈だった。部活でスポーツに汗を流すでなく、仲間と街を徘徊して悪さをするでもなく、なにをすればいいのかわからず、ただ悶々と過ごしていた。唯一、真夜中にテレビで映画を観るのが日課だった。特段映画が好きだったわけじゃない。当時は毎日必ずどこかの局が深夜に映画を流していた。やることがなく眠たくもないので、だらだらと眺めていただけだ。単なる暇つぶしも続けていると心地よくなる。目が肥えるといってはおこがましいか。自分の嗜好が徐々にわかってきて、一丁前に作品をあれこれと評価するのが楽しくなる。「激突」「フルメタル・ジャケット」「錆びついた銃弾」「レザボア・ドッグス」、「七人の侍」や70年代量産期の深作欣次作品群を気に入っていた。
「カラーズ」も深夜放送で出会い心を奪われた作品のひとつだ。ロサンゼルスのサウスセントラルが舞台、ストリートギャングたちの抗争と、それを取り締まる制服警官の奮闘が描かれる。留置所で鉄格子の向こう側にいる敵ギャングに見得を切るチンピラの立ち振舞いや、少年たちを一列に並べて所持品検査をする警官の所作が生々しい。チカーノの話すスペイン語訛りの英語が、いかめしい雰囲気をあおる。あまり取り沙汰されることのない地味な映画だが、名作だと思う。
高校生のときだったか浪人時代だったか、いずれにせよ毎日夜中に映画を観るという習慣がなくなって久しいある日、 夕方家に帰ると居間のテレビにカラーズが映っていた。弟がレンタルビデオ屋で借りてきたのだという。弟は僕と反対に、部活に明け暮れる生活を送っていた。そんな彼がどこでこの作品を知ったのかわからないが、惹きつけられてわざわざ借りてきたことがおかしかった。血は争えない、兄弟の嗜好は似てしまうようだ。僕は「ああ、これ観た。いい映画だよ。」と無意味に兄貴風を吹かせてから、一緒にビデオを観はじめた。やがて夕飯の支度ができ、ギャングと警官たちの悶着を横目にしながら、僕と弟、母の三人で食卓を囲んだ。
そして悲劇が訪れた。黒人の男女がベッドの上で激しく交わる様が、突如映し出されたのだ。ギャング青年の背中はしっとりと汗で濡れ、その筋肉が黒く光る。渾身の力を込めて大きく何度も腰を振る。それを受けるガールフレンドは、二本の長い脚をギャングの胴にしっかり絡め、肉食獣の雄叫びの如き大声を発している。局部こそ映ってはいないが、二人とも一糸纏わぬ姿だ。僕たちは無言だった。テレビを消すことも、ビデオの停止ボタンを押すこともできず、三人はうつむき黙々と鯖の身をむしった。ひたすら時が過ぎるのを待っていた。肉欲に没頭する男女のもとに警官隊が突入すると、慌てた青年が警官の命令に反して動く。その刹那銃声が響き、あわれ青年は背後から胸を打ち抜かれて即死。かくして絶望の時は終焉した。
弟の心の声が聞こえ僕を叱責する。「おい、前に観て知ってたんだろ?だったらなんで、こんな最低の雰囲気になるのを放っておいたんだ?お母さんの顔を見ろよ。今にも死にそうじゃないか!」彼の気持ちはよくわかる。もし僕が「観たい番組がある」とかなんとかいってビデオを止めさせていれば、団欒のひとときをぶち壊すことはなかったし、母の顔から血の気が失せることはなかった。だがしかし、僕は知らなかったのだ。僕が中学時代にテレビで観たカラーズは、このシーンが丸ごとカットされていた。当然だ。テレビで放送なんて、到底できない過激な描写だった。まさかあんな場面があるなんて、僕は想像もしていなかった。止めることなどできなかった。弟に釈明したいが、今はこの話題を持ち出すべきでない。ここにいる全員が一刻も早くこの悲劇を忘れたい。なかったことにしたいのだ。
「カラーズ」も深夜放送で出会い心を奪われた作品のひとつだ。ロサンゼルスのサウスセントラルが舞台、ストリートギャングたちの抗争と、それを取り締まる制服警官の奮闘が描かれる。留置所で鉄格子の向こう側にいる敵ギャングに見得を切るチンピラの立ち振舞いや、少年たちを一列に並べて所持品検査をする警官の所作が生々しい。チカーノの話すスペイン語訛りの英語が、いかめしい雰囲気をあおる。あまり取り沙汰されることのない地味な映画だが、名作だと思う。
高校生のときだったか浪人時代だったか、いずれにせよ毎日夜中に映画を観るという習慣がなくなって久しいある日、 夕方家に帰ると居間のテレビにカラーズが映っていた。弟がレンタルビデオ屋で借りてきたのだという。弟は僕と反対に、部活に明け暮れる生活を送っていた。そんな彼がどこでこの作品を知ったのかわからないが、惹きつけられてわざわざ借りてきたことがおかしかった。血は争えない、兄弟の嗜好は似てしまうようだ。僕は「ああ、これ観た。いい映画だよ。」と無意味に兄貴風を吹かせてから、一緒にビデオを観はじめた。やがて夕飯の支度ができ、ギャングと警官たちの悶着を横目にしながら、僕と弟、母の三人で食卓を囲んだ。
そして悲劇が訪れた。黒人の男女がベッドの上で激しく交わる様が、突如映し出されたのだ。ギャング青年の背中はしっとりと汗で濡れ、その筋肉が黒く光る。渾身の力を込めて大きく何度も腰を振る。それを受けるガールフレンドは、二本の長い脚をギャングの胴にしっかり絡め、肉食獣の雄叫びの如き大声を発している。局部こそ映ってはいないが、二人とも一糸纏わぬ姿だ。僕たちは無言だった。テレビを消すことも、ビデオの停止ボタンを押すこともできず、三人はうつむき黙々と鯖の身をむしった。ひたすら時が過ぎるのを待っていた。肉欲に没頭する男女のもとに警官隊が突入すると、慌てた青年が警官の命令に反して動く。その刹那銃声が響き、あわれ青年は背後から胸を打ち抜かれて即死。かくして絶望の時は終焉した。
弟の心の声が聞こえ僕を叱責する。「おい、前に観て知ってたんだろ?だったらなんで、こんな最低の雰囲気になるのを放っておいたんだ?お母さんの顔を見ろよ。今にも死にそうじゃないか!」彼の気持ちはよくわかる。もし僕が「観たい番組がある」とかなんとかいってビデオを止めさせていれば、団欒のひとときをぶち壊すことはなかったし、母の顔から血の気が失せることはなかった。だがしかし、僕は知らなかったのだ。僕が中学時代にテレビで観たカラーズは、このシーンが丸ごとカットされていた。当然だ。テレビで放送なんて、到底できない過激な描写だった。まさかあんな場面があるなんて、僕は想像もしていなかった。止めることなどできなかった。弟に釈明したいが、今はこの話題を持ち出すべきでない。ここにいる全員が一刻も早くこの悲劇を忘れたい。なかったことにしたいのだ。
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