20151231

The Successful Dragon

 ずっと前から、香港にいくことがあれば絶対に訪れたいと思っていた場所がある。尖沙咀の永安廣場というデパートだ。買い物がしたいんじゃない。「ポリス・ストーリー/香港国際警察」のクライマックスで、ジャッキー・チェンと悪党たちが大乱闘を繰り広げた場所に身を置きたいのだ。ジャッキーが最上階から、中央の吹き抜けに吊られた巨大なシャンデリアに飛び移り、電飾をショートさせ火花を散らしながら地階まで落ちていくあの場面は、誰もが知るところだろう。先日、念願が叶った。
 永安廣場は思っていたのとずいぶん印象が違った。映画のために作製されたシャンデリアがないのはよしとして、劇中に描かれたような華やかさがまるでない。客はまばら、内装は古びていて、全体に覇気が感じられない。来月に閉店することが決まった田舎のダイエーといった風の、物悲しい雰囲気だ。考えてみれば映画公開は30年も前のこと、それ以降新しいデパートやショッピングモールは無数にできているはずで、客をとられて寂れるのは仕方のないことかもしれない。なんだか拍子抜けだ。でもせっかくきたのだからと、残念な気持ちを飲み込んで最上階に上がる。ジャッキーがジャンプしたであろう場所に立って、吹き抜けを見下ろしてみる。歳月が流れ当時の輝きは失せてしまったけれど、建物の骨格は変わっていない。胸の奥に刷り込まれたあのシーンと、いま目に見えている現実が重なって、映画の中に入ったような感覚になった。目を閉じると、拳と蹴りの応酬に空気が切り裂かれる効果音が、ジャッキーの歌う主題歌とともに大音量で聴こえる。

 インターネットをうろついていて、「愛を語れば変態ですか」という映画のホームページにたどり着いた。監督の福原充則によるエッセイが掲載されている。◆1984◆と題されたテキストに、幼いころジャッキーから多大な影響を受けたと綴られていた。ひょうひょうとした語り口の中にジャッキーへの深い愛情、尊敬、畏怖が滲む。失礼ながら福原さんという方を存じ上げなかったし、だから映像作品も観たことがないのだけれど、エッセイストとしての才をお持ちと見受けた。読んでいて胸が熱くなり、思わず泣いてしまった。
 ジャッキーに影響を受けて人生観を築いたのは福原さんだけじゃない。いや、むしろ彼と同世代の男性は、総じてジャッキーから教訓を得たといっていい。もちろん僕もその内のひとりだ。テレビで放送されたジャッキー映画をビデオに撮って、台詞を空でいえるようになるくらい繰り返して観た。ギャグに腹を抱えて笑い、飯を頬張る様に喉を鳴らし、死闘に息を詰まらせ、NGシーンに痛みを覚えた。ジャッキーのおかげで友だちができ、仲間を大切にすることができた。ジャッキーのせいで怪我をしたり喧嘩をしたり、いじめもあった。80年代の小学生男児にとってジャッキー映画は人生そのものだった。

 あの吹き抜けに立ったら、記憶の回路のジャッキーをつかさどるセクションが覚醒し、名場面が堰を切ったように湧き出して止まなくなった。
 最後のアクション超大作と銘打って、数年前に公開された「ライジング・ドラゴン」。軍事基地のゲート前にマットグレーのムルシエラゴが停まった。ドアが跳ね上がり、派手なサングラスにホットパンツ姿のスレンダーな長身美女が降り立つ。クネクネと色気を振りまいて守衛の兵士をたぶらかし、すんなりと基地内に侵入した。テコンドーの達人である美女は、身長の2/3はあろうかという長い脚の片方を垂直に持ち上げ、窓の向こうの壁に吊るされた鍵をピンヒールに引っかけて盗む。
 ガムを口に放り込むアクションを真似したい、アジアの鷹の原点「サンダーアーム」。捕われた仲間を救出するため、スレンダーな長身美女は娼婦になりすまし、謎の邪教集団のアジトに潜り込む。押し倒して手込めにしようとする邪教幹部の男から逃れるために、枕元の酒瓶をこっそり手に取って殴ろうとするが、見つかってしまう。
 ナチスが残した巨大な風洞実験施設での空中戦が他に類を見ない「プロジェクト・イーグル」。財宝を求め砂漠を旅するジャッキー一行はオアシスに宿をとった。入浴直後に悪党に襲われたスレンダーな長身美女が、バスタオルを体に巻いただけの姿で旅館中を走り回り、ドタバタアクションを繰り広げる。味方の金髪美女が機関銃を乱射して騒動は収束するが、最後の最後にバスタオルがハラリと落ちてしまう。周りの人たちに体を見られたくない一心で、素っ裸の長身美女はジャッキーに抱きついた。
 ケータリング仕様にカスタマイズされた三菱デリカが、バルセロナの街をプジョーと駆け回る「スパルタンX」。ジャッキーとユン・ピョウが暮らすアパートに、スレンダーな長身美女が転がり込んできて泊まることになった。シャワーから上がった美女は、濡れ髪に男物のシャツ1枚という格好。お色気に動揺し、ふたりはソワソワしてまったく落ち着かない。それに気づいているのかいないのか、美女はソファーに寝そべって脚を投げ出し、髪をかき上げて「ねえ、一体どっちが私と寝るの?」とふたりを惑わす。
 ヘリコプターから宙づりになったり、走る列車にバイクで飛び乗ったり、度を越した過激スタントが光る「ポリス・ストーリー3」。潜入捜査で麻薬シンジケートの取引に立ち会ったスレンダーな長身美女が、銃撃戦に巻き込まれてしまった。雨霰の弾丸をかいくぐる中、助けにきたジャッキーと鉢合わせ、勢い殴り飛ばしてしまう。地面に叩き付けられるジャッキー。美女もつんのめる。次の瞬間に敵が現れ、美女は前に倒れ込みながらサブマシンガンを撃った。ジャッキーは覆い被さってくる美女を支えようとして、仰向けのままの両手で美女のおっぱいを掴んでしまう。「離して!」と怒鳴られてジャッキーがとっさに手を引っ込めると、美女は倒れ、ジャッキーの顔面はおっぱいに押しつぶされた。
 体に縛り付けられた時限爆弾をどうにか取り外し、爆発から逃れるために、高速道路を死に物狂いで走る裸のジャッキーが印象深い「九龍の眼/クーロンズ・アイ」。ジャッキーが逮捕したチンピラを、取り調べ室に招き入れる3人のスレンダーな長身美女。ジャッキー率いる捜査チームの刑事たちだ。3人の美女は、ふんぞり返って憮然としているチンピラを取り囲んで微笑み、「わたしたちに協力して、本当のことを教えて、内緒にするわ」と甘い声でささやく。チンピラは鼻の下を伸ばしてのらりくらりとするばかり、取り調べは一向に進まない。マジックミラーの裏側で、ジャッキーはじめ男性刑事たちは「こんなやり方で口を割るのか?」ともどかしそうだ。ひとりの美女が、チンピラのくわえる煙草をおもむろに取り上げて、指先で火種を揉み消した。不敵に笑う美女。にわかにチンピラの顔がこわばり、ジャッキーたちも息を飲む。これを合図に美女たちは、一斉にチンピラに襲いかかった。ハイキックでこめかみを打ち、膝蹴りがみぞおちに食い込み、ローで蹴倒す。見事なコンビネーションに目を丸くするジャッキー。「こんなことは許されないぞ!絶対に訴えてやる!」とチンピラが半べそで抗議するが、美女は取り合わない。かわりにスカートをたくし上げて、パンティに隠していた拳銃を素早く取り出し、チンピラの眉間に突きつけた。号泣し命乞いするチンピラ。洗いざらい全部吐いた。

 ジャッキーが思春期前夜の僕に与えた影響は計り知れない。


劇 終

20151225

Phillip & Butch

 青々とした草むらにおばけのキャスパーのお面が転がっていて、その傍らで汗ばんだ男が仰向けになっている。そよ風に草がなびき、無数の1ドル札がひらひら舞う。男がまぶしそうに目を開けると、太陽の手前でヘリコプターがゆっくり旋回している。
 映画「パーフェクト・ワールド」の冒頭のシーンだ。一見温和な雰囲気ではあるけれど、どことなく不穏な気配もあって気分が落ち着かない。

 クリスマスの朝、僕は病棟の廊下で立ち尽くしていた。カルロスはしばらく僕の顔を不思議そうに見ていた。でも僕がぼんやりと固まったままなので、あきらめてどこかへいってしまった。僕の頭の中では「パーフェクト・ワールド」冒頭の映像がずっと繰り返されていた。観たことさえ忘れていた映画のワンシーンが、突如鮮明に思い出されたことに驚く余裕なんてない。ああ、やってしまった。後悔と自責に支配され身動きが取れない。

 カルロスと出会ったのは、彼が3,4歳の頃。母親とふたりで日本にやってきてすぐ、母親が病気になって入院した。母親は日本語をほとんど話せず、頼れる親類も近くにはいない。カルロスは病室で母親と生活することになった。体調が悪く動けない母親にかわって、手の空いたスタッフが食事をさせたり風呂に入れたり、彼の面倒を見た。

 彼はどういうわけか僕に懐いていた。僕が歩けば一緒についてくるし、僕が座れば膝に乗ってきた。でも絶対に仕事の邪魔はしなかった。僕が他の患者の病室にいくと彼は入口で立ち止まり、処置が終わるまでおとなしく待っている。いたずらをすることはあるけれど決して度を越すことはなく、叱られる前にちゃんとやめる。走り回ったり大声で騒いだり、わがままをいったりぐずったりすることもない。彼はいつも行儀がよくお利口だった。

 母親はエホバの証人だった。医療者であれば彼らが輸血を受け入れないことは知っている。でもそれ以外の治療、例えば血液製剤は使えるのか、自己血はいいのか、血液透析はどうだ、といった細かい決まりごとについて、まったくわからなかった。当人に聞ければいいのだけれど、彼女は日本語も英語もだめ。治療に制約があること以上に、言葉の壁が回復を遅らせてしまった。

 母親は退院したあとも、定期的に通院して治療を受ける必要があった。何時間もかかる長い治療の間、いつもカルロスは病棟にいた。デイルームでテレビを見たり、年配の入院患者さんたちとおしゃべりをしたり、ときどきスタッフにちょっかいを出したりして過ごした。彼が小学校に上がって以降、顔を見ることは減ったけれど、土曜日や夏休み、学校がないときには母親に付き添って来院し、それまでと同じように病棟で母親の治療が終わるのを待った。

 あのクリスマスの朝。仕事を始めようと病棟の廊下で準備をしていると、カルロスが駆けよってきた。
「おはよう!」
「お!カルロス、おはよう。ひさしぶりだね」
ニコニコ笑っている。
「そうかそうか、もう冬休みなんだね」
「うん」
そして僕は、決して口にするべきでない言葉をカルロスに投げかけてしまう。どんな答えが返ってくるのかわかっていたのに。よそのこどもに尋ねるのと同じように、無神経に聞いてしまった。
「サンタさんに何をもらったの?」
「うち、サンタさん、こないよ」

 廊下は静まり返っている。とんでもないことをしてしまったと気づいた。彼の顔に表情はない。もちろん笑ってはいない。かといって悲しんでもいないし怒ってもいない。なにも感じていないというフラットな顔だ。彼はこれまでに何度も、同級生や近所の大人たちと同じやりとりをしてきたはずだ。ともすれば、この件で自分自身や母親を否定されるような、辛い思いをしているかもしれない。彼はもうこの話題に疲れている。触れたくないのだ。

 カルロスはいつも行儀よくお利口だ。明るくて愛嬌もある。でも本当はわがままをいいたいし、思い通りにならなければ泣き叫んで駄々をこねたい。飽きるまでいたずらをしたいし、思いっきり母親に甘えたい。それをずっと我慢して生きている。聡明な彼は、自分と周囲の状況を観察し、どう振る舞うべきかを常に考えて行動している。僕はそれを知っていた。だから彼の気持ちを最大限尊重したいと思っていたはずだった。なのに、このときの僕はそうじゃなかった。

 「パーフェクト・ワールド」は、脱獄犯——草むらで寝転んでいた男——と人質の幼い少年が、アラスカを目指し逃走する中で、徐々に心を通わせるロードムービーだ。少年は厳格なエホバの証人の家庭に育ち、ハロウィンに参加することを許されなかった。そのことで少年が悲しんでいると知った男は、少年が大好きなキャスパーの仮装をさせ、通りかかった家にお菓子をもらいにいかせてやる。

 カルロスに無慈悲な言葉を投げてしまった直後に、さほど好きでないし、思い入れもない「パーフェクト・ワールド」の映像に囚われたのは、エホバの証人がキーワードになったからだけではなく、あの瞬間の居心地の悪い静けさや不穏な雰囲気が、冒頭のシーンと重なったからだと思う。男は少年にハロウィンをさせてやった。他者の信仰を否定するのがいいことであるはずはない。でもあの物語においては、その過程でふたりの絆は深まった。果たして僕は、カルロスのために何ができるだろうか。

 クリスマスおめでとう。

20151223

The Ladle

 僕は幼いころから掃除や整理整頓がまったくだめで、家の中はいつも物にあふれて散らかっている。鍵やリモコンがしょっちゅうなくなったり、レゴを踏んで悲鳴を上げたり、くしゃみが止まらなくなったり、酔って帰って空の段ボール箱に足を引っかけて転んだり、その拍子にCDの山が雪崩を起こしたり、 微々たる弊害はあるものの、生活そのものが脅かされることはないので気にしていない。風呂場だって多少汚れていてもへっちゃらだ。
 でもどういうわけか、台所が汚いのは我慢ならない。少しの油汚れも嫌なので料理のあとには必ず掃除をする。だからいつも家中で台所だけがピカピカだ。うちを訪ねた友だちは一様に、部屋と台所の落差を見るや、呆れるのを通り越して気味悪がる。なぜこんなに偏るのか、自分でも病的だなと思う。
 朝に晩にコーヒーをすすりながら、煙草をふかすのは決まって台所だ。家の中で一番明るいので、雑誌や本を読むのはたいてい台所。小物の部品交換や修理といった作業も台所。僕は台所で過ごすのが好きだ。肩幅ほどのシンクとつり棚、渦巻きの電熱線がぼやっと光るコンロが1口、そして換気扇。極めて手狭で最低限、料理がしにくいったらない。でもその狭い空間が案外くつろげる。
 料理すること自体も嫌いじゃない。別段凝ったものを作ることはないけれど、毎日やっていると手作業不足のフラストレーションが解消される。手を動かすときの特有な充足感を、生活の中で簡単に得るには料理が一番だと思う。そしてなにより、晩のおかずを作りながら立ち飲みするビールの美味さといったら。
 多くの男性がそうであるように、僕は工具や文房具の類が好きだ。調理用具も然り。狭い台所には気に入りの品がぎゅっと詰まっている。鉄のフライパン、銅のおろし金、アルミの漏斗、ステンレスのトングとホイッパー、真鍮のペッパーミル、オリーブ材のスパチュラ、白磁のキャニスター。野田琺瑯の薬缶、ファイヤーキングのメジャーカップ、ヘンケルスのナイフ、ツヴィリングの万能鋏、ル・クルーゼの鍋、月兎印のボウル、京セラのピーラー、ポーレックスのコーヒーミル、ビアレッティのマキネッタ、ヴィクトリノクスのトマトナイフ、飛松陶器のオイル差し、貝印のターナー、クイジナートのオーブントースター。旅先で買い求めたり、友だちから贈られた食器群もそれぞれに愛着がある。することのない休日に台所に座って、僕のもとに集まったこの精鋭たちを、ただ眺めたり触ったりして過ごすことも少なくない。
 一番のお気に入りは舶来の高価な刃物や鍋ではなく、友だちが僕のために焼いてくれた一点物のカレー皿でもない。スプーン形のおたまだ。ナイロン樹脂でできたティファールの洋風おたまがいかに優れているか、ぱっと見た限りでは決して伝わらない。実際にお店で手にとってもわからないかもしれない。しかしひとたび調理に使ってみると、その洗練された造形に驚愕する。頭の先端、底面、左右の淵、首、柄は、選び抜かれた無二の曲線を描く。各部位の太さ厚さも絶妙。ほどよくしなって手に柔らかく、鍋肌に吸い付くようだ。軽い上に重心がいいので、3本指でつまむだけで簡単に取り回せる。剛性は十分で、何年も使っているがくたびれる気配はない。もちろん熱で歪んだり焦げることもない。性能の伴ったシルエットは必然的に美しく愛おしい。おたまの本分が突き詰められ、もはや修正する余地はない。完成したおたまは「使い勝手」の範疇を超え、鍋の汁をかき混ぜ、すくって、器に注ぐ、という単純な動作に快楽をもたらす。こんなおたまはほかにない。各家庭の台所に必ず1本あるべき逸品だ。「でも、お高いんでしょ?」否。通販サイトでなら300円ちょっとで買える。極めて優れた機能、造形で低価格。すなわち工業デザインの最高峰といって差し支えないだろう。なぜ世間に浸透していないのか、不思議で仕方がない。もし少しでも興味を持ったなら、迷わず買いなさい。まずは使ってみるべきだ。絶対に気に入るはず。万が一、満足できなければ僕にそういって欲しい。売値での買い取りだってやぶさかじゃない。

20151221

Not A Memory But A Moment

  ある年の正月を家族と北京で過ごした。父が郊外に駐在していて、せっかくだからとみんなで押し掛けたのだ。流行りの羊肉しゃぶしゃぶ店や北京ダックの老舗で食事をする、豪勢な旅だった。宿も贅沢。下町の細い路地の奥にひっそりとある、古いお屋敷を改装したホテルに泊まった。四合院と呼ばれる伝統的な建築様式の邸宅は、煉瓦造りの高い壁で外界と隔てられ、正面に分厚い木の門を構える。中庭に太い立派な木が植えられていて、それを囲むように4棟の家屋が建っていた。柱と梁は朱に塗られ、欄間や柵、窓枠に雷文の透かし彫りが施されている。角々に深紅の提灯が吊られ、壁には壽だの福だの囍だの慶だの招財進寶だのといった、おめでたい文字がちりばめられていてたいへん賑やかだ。寝室に入ると、中央に黒光りして重々しい大きな木製のベッドが鎮座する。4本の骨太な脚は柱のように天井まで伸び、梁が渡されていて、シルクの天蓋がかかっている。鳳凰の刺繍がされた深紅の敷布もシルクだ。ひるがえってバスルームは西洋風な造り。床と壁は真っ白なタイル張り、洗面台やシャワーはモダンなデザインで、優雅な曲線を描く猫足のバスタブが据えられている。
 弟は旅の直前に買ったオリンパスのミューを携えていた。高度な防水処理がされていて、水中で撮影ができるらしい。真冬の北京に防水は必要ないんじゃないか、といいかけたが、当人はいたく気に入っているようで、自慢げに話すので触れずにおいた。帰国して、その弟と互いの写真を交換しようということになった。またとないリッチな体験がたくさん収められているだろうと期待し、メモリーカードをパソコンに挿してフォルダを開ける。まず写真の少なさに拍子抜けした。せっかく新しいカメラを持っていったのに、なぜ撮らないか。しかも豪華な料理や贅沢な宿の写真はおろか、白銀に覆われた万里の長城や故宮、天安門広場の写真も数えるほどしかない。ほとんどを占めるのは四合院ホテルの浴室内の写真だった。湯船の底から見上げ水面越しに歪んだ弟の顔、湯の淵にレンズを合わせ下半分が水中に浸かった弟の顔、目をつぶって潜り鼻の穴から泡の出ている弟の顔。ずぶ濡れで一糸まとわぬ弟の自撮り写真ばかりだ。防水機能がうれしいのか、湯に浸かりながら撮るのが楽しいのか、そのどれもがとびきりの笑顔だった。

 友人たちが沖縄にくるというので、僕も夏休みを取って一緒に旅をすることにした。プジョーのカブリオレで山原をドライブし、古宇利島を目指す。屋我地島を介して沖縄本島と橋でつながっていて、気軽に訪れることができる小さな離島だ。「ガイドブックでは紹介されない沖縄を味わいたい」と友だちが探し当てた民宿が、この古宇利島の山の上にある。島を一周する道からそれて、車1台がどうにか通れるほどの細い農道を、低速ギアでえっちらおっちらと上がっていく。右も左も鬱蒼としたさとうきび畑。向こうから農作業を終えた軽トラックが下ってきた。すれ違えないので、道幅が少し広くなっている切り返しまでバックで戻る。軽トラックをやり過ごしてまた急坂に挑む。上りきると視界が開け、風になびくさとうきびの向こうにぽつんと赤瓦の屋根が見えた。目当ての宿だ。沖縄の典型的な古民家で、現代風なアレンジや宿泊用の改装は一切されていない。家主のおばさんが、雨端と呼ばれる軒の長い縁側に座っている。あいさつすると「自分の家のように気楽に過ごしてね」と優しくいってくれた。時代の付いた琉球建築はお世辞にも奇麗とはいえないけれど、まさに自分の家のようにくつろげる。そして風通しがよく涼しい。
 おばさんが作ってくれた盛りだくさんの夕飯のあと、仏壇のある二番座に寝そべって島酒を飲んでいた。友だちが最新型のソニー・サイバーショットをいじりながらぶつぶつとぼやいている。アイフォンで撮った写真があまりにもよく映っていて、サイバーショットと遜色ない、これじゃあ奮発して買った甲斐がない、と。確かに映りの良さという点で両者はさほど変わらなく見える。落胆する彼女をなだめる言葉が見つからない。まあまあと濁して酒を勧めた。
 酔いが回っていい気分になったころ、離れの便所にいこうと表に出た。ふと見上げると満天の星だ。天の川がはっきりと見え、あっちこっちで流れ星がきらめいていた。尿意を忘れて天然のプラネタリウムに見とれる。しばらく眺めていて閃き、友だちを呼びつけた。サイバーショットならこの星空を切り取れるかもしれない。マニュアルモードに設定してシャッタースピードを遅くし、絞りを全開にする。セルフタイマーをかけてレンズを真上に向け、車のボンネンットに置いた。カシャ。友だちと液晶画面を覗き込む。おお!天の川がしっかりと映っているじゃないか。アイフォンではこんな写真は撮れない。友だちの白い歯が暗闇に浮かんだ。それ以降、彼女は露出や感度をいじったり、小石を枕にアングルを調整したりしながら、嬉々として夜空にレンズを向け続けた。バッテリーが切れるまで部屋に戻ってくることはなかった。

 「思い出よりも、いまでしょ」
 口にするに気恥ずかしいこのフレーズは、予備校講師の決め台詞が流行るよりも、ファミリー向けミニバンの広告が注目されるよりもずっと前、2000年代初頭にコダックが販売していた使い捨てカメラのキャッチコピーだ。飛ぶ鳥を落とす勢いだった鈴木あみが、カメラを片手に仲間たちと海辺ではしゃぐテレビコマーシャルが印象的だった。
 当時この言葉を受け入れることができなかった。「瞬間を記録して後に残す」ことこそがカメラ本分思い込んでいた。そして、光の印象や色の鮮やかさ、その場の空気感を、いかに正確に記録するかということに心を砕いていたその過程に面白味はまったくなく、だからカメラが好きじゃなかった。しかしいま、あみちゃんの言葉は僕の腹に落ちている。彼女は撮影という体験そのものに価値を見出だしていた。「カメラを記録装置と捉えずに、その瞬間を満たすための道具としなさい」と。なるほど、四合院ホテルの弟も古宇利島の友だちも、幸せな笑顔だった。どんな画像が出来上がるかはたいした問題じゃない、ふたりともシャッターを切るのに夢中になり、それ自体を味わい喜んでいた。つまり、思い出よりも、いまだった。
 松本大洋は短編集「青い春」の「あとがき」の中で写真を撮ることについて触れ、ツッパリ君達が現在をすでに過去として……いや、やっぱりやめておこう。「あとがき」はあまりに有名だし、それぞれに強い思い入れがあるはず。僕がこの場でああだこうだと語っては、みなさんからお叱りを受けかねない。

20151219

Drowsy

 シフト制で働く者にとって、翌月の勤務がわかる瞬間はささやかな楽しみのときだ。休みの総数はあらかじめ決まっているし、何曜日に出勤しようとすべき仕事に大きな違いはないのだけれど、勤務表が配られるたびに僕らはときめき、手に取っていつまでも眺める。
 あるとき自分のレターボックスに勤務表を見つけ、ワクワクしながら開いてみると、頼んでいないのに3連休がついていた。カレンダー通りのオフィスワーカーにしてみれば3連休なんて毎月あるし、騒ぎ立てるようなものではないのかもしれない。でも僕にとっては一大事なのだ。普段はまずあり得ない。もし欲しければ前々から上司にお願いしておく必要がある。3連休は向こうからはやってこない、自ら赴いてこそ獲得できるものなのだ。そんな貴重な3連休を突如与えられたので慌てた。どうしよう、どこにいこう。
 旅行予約のウェブサイトを引き、2泊3日でいけるところを探してみる。沖縄からはやっぱり台湾が手軽だ。あれやこれやと迷っている暇はない、取り急ぎ往復の航空券を買った。さて、どんな旅にしようか。
 のんべんだらりと過ごせば3日なんであっという間に終わってしまう。ある程度テーマを絞った方がいい。何年か前にいったときは台北で食べまくった。とても楽しい旅だったけれど、それをもう一度なぞっても満足できないことは知っている、いっそ台北は避けようか。「台湾」をキーワードに画像検索をしてみる。下へ下へスクロールしていると、回転する橋を中心にして鉄道の線路が八方に広がる写真が目に入り、指が止まった。彰化の扇形機関庫だ。蒸気機関車の向きを変えるための施設で、いまだ現役で機能しているという。実際に動くところを見てみたい。今度は「台湾 鉄道」と検索してみた。黄色と橙の縞模様が印象的な車両の映り込んだ風景写真が画面に並ぶ。ゆっくり走る列車の窓から、畑や山の景色を眺めるのはどうだろう。ノスタルジックな木造の駅舎も魅力的だし、臺鐵便當と呼ばれる駅弁も美味しそうだ。よし、「鉄道の旅」にしよう。
 集集線は二水と車埕を結ぶ30kmあまりのローカル線で、路線図を見ると車埕はほかのどの路線ともアクセスしていない。つまり終着駅が行き止まりなのだ。その上単線とくれば、のどかな田舎の風景を走ることは簡単に想像できる。旅情を味わうにあつらえむきのはずだ。
 台中から在来線に乗り、扇形庫のある彰化で乗り換え、始発の二水にやってきた。一番はずれにある集集線のプラットホームには人っ子ひとりない。しとしとと雨が降る。芯まで冷えたころにようやく2両編成の客車が入線した。乗務員の交代や車内点検をのんびり済ませてから、数えるほどの客を乗せて発車。がたんごとん、がたんごとん。さとうきび畑の中をゆったりと進む。がたんごとん、がたんごとん。旧型ディーゼルエンジンの発する、振動と音がいい気持ちだ。がたんごとん、がたんごとん。冷えたからだが足下から徐々に温まる。がたんごとん、がたんごとん。しばらくすると山を登りはじめた。エンジンが少しがんばって振動が大きくなる。緩やかなカーブを右に左に抜けながら坂を上がる。がたんごとん、がたんごとん。うっそうとした森の中を一層ゆったり走る。大きな濃緑の葉に遮られ、辺りは薄暗い。がたんごとん、がたんごとん。がたんごとん、がたんごとん…。
 だめだ…眠い。起きていられない。すべての要素が睡魔に味方している。車窓を楽しみたいとふんばったが抗うことはできず、僕はついに目をつぶった。
 往復2時間あまりの乗車、結局そのほとんどをうたた寝して過ごしてしまった。でも悪くはない。あんなにぐっすり眠ったのはいつ以来だろうか、二水に戻ったときには驚くほどすっきりしていた。
 日々の仕事に疲れきっている方、ストレスで寝付き寝覚めの悪い方、台湾にいって鉄道に乗ると、とてもよく眠れますよ。

20151217

The True Truth

 伊集院光が立川談志とラジオ番組で対談したときのエピソードを読んで唸った。少し大袈裟にいえば、そこには普遍の真理が記されていた。

“「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば(古典落語の演目の一つ。短く軽い話で特に若手の落語家がやる話)』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』(ともに真打がおおとりで披露するクラスの演目)ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらくして落語を辞めました。」
 黙って聞いていた家元が一言。
「うまい理屈が見つかったじゃねえか」
 僕はうまいことをいうつもりなんかなかった。ヨイショをするつもりもない。にもかかわらず「気難しいゲストを持ち上げてご機嫌を取るための作り話」だと思われている。あわてて「本当です!」といい返したが「そんなことは百も承知」といった風に家元の口から出た言葉が凄かった。
「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時のお前さんは落語が辞めたかったんだよ。『あきちゃった』のか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるんなら、自分にも余所にも理屈が通る。ってなわけだ。本当の本当のところは『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」”
伊集院光(2010),『のはなし にぶんのいち〜イヌの巻〜』,宝島文庫

 古くから懇意にしてもらっている、僕の親よりもちょっと若いくらいの夫婦がいる。ふたりは30年以上前からずっと、5ナンバーの国産セダンに乗っていた。その車はボディ、ホイール、タイヤからラジオアンテナにいたるまで、いつもピカピカに磨かれて傷ひとつなかった。機関のメンテナンスも抜かりなく施され、エンジン音は滑らかだしオイル漏れの気配もない。それはそれは大切にされていた。
 あるとき、久しぶりに会った婦人がメルセデス・ベンツの新車に乗っていた。
「車!どうしたんですか!?」
「この間ぶつけちゃってね。長いこと運転してるけど事故したのははじめてでびっくりしたわ」
「ええ!怪我はなかったんですか?」
「幸いなんともなかったのよ。車も大したことはことはなくて、部品があるから直せるってディーラーの人にはいわれたんだけど…」
「修理には出さなかった?」
「うちの人がね、猛反対して。お前は若くない、これからは衰える一方だからまたいつ事故にあうかもわからない、古い車で万が一のことがあったらと思うと心配だ、って」
「でもあのセドリックとお別れするのは辛かったんじゃないですか?」
「そうなのよ——あ、グロリアね——長い付き合いで愛着があったから。わたしは、まだ十分走るんだから買い替える必要はない、っていったのよ。あの人も手放すのはさみしいともいってたんだけどね。ことが起きてからじゃ遅いんだから覚悟を決めて新しい車にしよう、っていうのよ。で、なるべく安全性能がいいものを、となるとやっぱりドイツの車がいいらしいじゃない?高くつくけど背に腹は代えられないだろ、って。それでこの車を選んできたのよ」

 患者が一様に寝静まり、珍しく穏やかな夜勤。巡回してきた当直医も時間を持て余していたのか、ナースステーションに居座り、看護師たちと一緒になって世間話をしていた。彼は折り目正しい性格で、常に髪がきれいに刈られ、シャツにしわひとつない。一般的に医師の仕事は煩雑で長時間に渡るため、集中力が落ちたときにちょっとした抜けや漏れが生じやすい。そんな医師たちをバックアップして、間違いが起きないようにするのが僕ら看護師の大事な役目のひとつなのだが、彼についてはフォローなんて必要ないのではないか、と思ってしまう。いつも緻密、正確で抜かりがない。その彼と取り留めなくおしゃべりをしていて、話題は自身の健康管理になった。
「先生は気をつけてること、あります?」
「まあね、歳が歳だからね。糖質を摂りすぎないように、ご飯は110gって決めてるよ」
「え?毎回計ってるんですか?」
「そりゃそうさ」
「わあ、さすが先生、きっちりしてる!」
「性格だね」
「人間ドックとか定期検診とか、そういったのもちゃんと受けているんですか?」
「んー…」
「あれ?受けていないんですか?」
「内視鏡の検査は受けないね」
「どうして?」
「医者が医者を診るってのは嫌なもんなんだよ。君らも同業者に注射するのは嫌でしょ?それと同じだよ。何か病気になって治療してもらうんなら、まあ仕方がない、あきらめるけどね。胃カメラだの大腸カメラだの、病気じゃないのに検査をよその先生にやってもらうのはどうにも心苦しくてさ。だからいままで、僕は一度も内視鏡検査を受けたことがない。多分これからも受けないだろうな」

 僕にも思い当たる節がいくつもある。形のいい理屈で「本当の本当」に蓋をしてごまかす。談志師匠が「理屈なんざねェ」と結んでくれて救われた。本当に「本当の本当」をいえば、好きになったり嫌いになったり、始めたり辞めたりするのには、ちゃんと理由があるんだろうと思う。でもその理由を、みっともない、恥ずかしい、男らしくない、大人としてどうだ…自分で認められなくて、内緒にしておきたいから、いろいろと理屈をこねて格好をつける。ほとんど無自覚にやっていることだけれど、案外これが息苦しい。でも「理屈なんざねェ」ということになれば、いちいち御託を並べて取り繕う必要はない。細けえこたぁいいんだよ、手前のやりてえようにやんなよ、と師匠にいわれた気がしている。