中学時代は退屈だった。部活でスポーツに汗を流すでなく、仲間と街を徘徊して悪さをするでもなく、なにをすればいいのかわからず、ただ悶々と過ごしていた。唯一、真夜中にテレビで映画を観るのが日課だった。特段映画が好きだったわけじゃない。当時は毎日必ずどこかの局が深夜に映画を流していた。やることがなく眠たくもないので、だらだらと眺めていただけだ。単なる暇つぶしも続けていると心地よくなる。目が肥えるといってはおこがましいか。自分の嗜好が徐々にわかってきて、一丁前に作品をあれこれと評価するのが楽しくなる。「激突」「フルメタル・ジャケット」「錆びついた銃弾」「レザボア・ドッグス」、「七人の侍」や70年代量産期の深作欣次作品群を気に入っていた。
「カラーズ」も深夜放送で出会い心を奪われた作品のひとつだ。ロサンゼルスのサウスセントラルが舞台、ストリートギャングたちの抗争と、それを取り締まる制服警官の奮闘が描かれる。留置所で鉄格子の向こう側にいる敵ギャングに見得を切るチンピラの立ち振舞いや、少年たちを一列に並べて所持品検査をする警官の所作が生々しい。チカーノの話すスペイン語訛りの英語が、いかめしい雰囲気をあおる。あまり取り沙汰されることのない地味な映画だが、名作だと思う。
高校生のときだったか浪人時代だったか、いずれにせよ毎日夜中に映画を観るという習慣がなくなって久しいある日、 夕方家に帰ると居間のテレビにカラーズが映っていた。弟がレンタルビデオ屋で借りてきたのだという。弟は僕と反対に、部活に明け暮れる生活を送っていた。そんな彼がどこでこの作品を知ったのかわからないが、惹きつけられてわざわざ借りてきたことがおかしかった。血は争えない、兄弟の嗜好は似てしまうようだ。僕は「ああ、これ観た。いい映画だよ。」と無意味に兄貴風を吹かせてから、一緒にビデオを観はじめた。やがて夕飯の支度ができ、ギャングと警官たちの悶着を横目にしながら、僕と弟、母の三人で食卓を囲んだ。
そして悲劇が訪れた。黒人の男女がベッドの上で激しく交わる様が、突如映し出されたのだ。ギャング青年の背中はしっとりと汗で濡れ、その筋肉が黒く光る。渾身の力を込めて大きく何度も腰を振る。それを受けるガールフレンドは、二本の長い脚をギャングの胴にしっかり絡め、肉食獣の雄叫びの如き大声を発している。局部こそ映ってはいないが、二人とも一糸纏わぬ姿だ。僕たちは無言だった。テレビを消すことも、ビデオの停止ボタンを押すこともできず、三人はうつむき黙々と鯖の身をむしった。ひたすら時が過ぎるのを待っていた。肉欲に没頭する男女のもとに警官隊が突入すると、慌てた青年が警官の命令に反して動く。その刹那銃声が響き、あわれ青年は背後から胸を打ち抜かれて即死。かくして絶望の時は終焉した。
弟の心の声が聞こえ僕を叱責する。「おい、前に観て知ってたんだろ?だったらなんで、こんな最低の雰囲気になるのを放っておいたんだ?お母さんの顔を見ろよ。今にも死にそうじゃないか!」彼の気持ちはよくわかる。もし僕が「観たい番組がある」とかなんとかいってビデオを止めさせていれば、団欒のひとときをぶち壊すことはなかったし、母の顔から血の気が失せることはなかった。だがしかし、僕は知らなかったのだ。僕が中学時代にテレビで観たカラーズは、このシーンが丸ごとカットされていた。当然だ。テレビで放送なんて、到底できない過激な描写だった。まさかあんな場面があるなんて、僕は想像もしていなかった。止めることなどできなかった。弟に釈明したいが、今はこの話題を持ち出すべきでない。ここにいる全員が一刻も早くこの悲劇を忘れたい。なかったことにしたいのだ。
No comments:
Post a Comment