20131106

A Day Job

 実家に帰ったときのこと。夕食後に居間でぼんやりしていたら、母が「梨食べるなら剥くけど、どうする?」と僕に尋ねた。一人暮らしをしていると、果物を食べる機会は少ない。梨は魅力的だったが、僕は「あぁ、大丈夫。」と答えた。すると母から予期せぬ反応があった。「え?食べるの?食べないの?どっちよ!」さて困った。なぜ会話が成り立たないのか。きょとんとしていると、母はもう一度聞いてきた。僕が「ええと、もうすぐ友だちが迎えにきて、出かけるんだよね。だから梨はいいや。」というと「だったら最初からそういえばいいのに。」と返ってくる。「だから大丈夫っていったじゃん。」「大丈夫なんていわれたって、わかんないわよ。」
  「大丈夫」が伝わらないことに驚いた。例えば「ヤバい」とか「ウザい」が親の世代に伝わらないのなら、まだわかる。でも「大丈夫」は昔から使われていることばだし、辞書にも載っている。それなのにどうして。風呂から上がってきた父に顛末を話すと「会社の若い子たちもよく『大丈夫』っていうんだけど、あれはどうもわからない。」と母に加勢した。僕が若いかどうかはさておき、親の世代と若い世代では、どうやら「大丈夫」の用法が違うらしい。
 「具合はどう?」「大丈夫」 このやりとりならば両親とも納得だ。「手伝おうか?」「大丈夫」この辺りからわからなくはないが違和感があるという。そして「梨食べる?」「大丈夫」で、なにをいっているんだ、となるらしい。「大丈夫」には良好、順調といった意味合いと、断りの返事としての意味があると思っていたが、両親に後者の認識はないという。だとすると、母が僕の返事に戸惑ったのはうなずける。梨を食べるかという問いに「大丈夫」と返ってくれば「それはいいね」と肯定のことばと受け取る。でも僕の態度や雰囲気は、否定しているようにしか見えない。だから「え?食べるの?食べないの?どっちよ!」となったわけだ。
 いわゆる「若者ことば」の特徴として、〜ぽい、〜みたいな、〜とか、 〜のほう、〜系といった、ぼかし表現の多用がある。断定を避け、境界を曖昧にし、遠回しに表現することで、相手を傷つけないように、あるいは自分が傷つかないようにしている。断りの返事としての「大丈夫」も、「いいえ」「結構です」「いりません」といった、直接的でつっけんどんな否定の語句よりマイルドな印象があるから、若い人が使いたがるのだろう。ぼかし表現の脈絡の中で生まれた、新しい用法のようだ。

No comments:

Post a Comment