親戚が何人か集まって、雑談をしていた。恭一おじさんが娘の、つまり僕にとってはいとこの悠紀ちゃんの話をはじめた。「こないだご近所から梨をたくさん頂いてね…。」
ある晩、ベッドに入るまでのひととき居間でテレビを観ていたら、悠紀ちゃんが「梨食べるなら剥くけど、どうする?」と尋ねたという。おじさんは「んー…歯を磨いちゃったよ。」と答えた。つかの間の沈黙のあと、悠紀ちゃんは「で?食べるの?食べないの?どっち?」と聞き返したのだそうだ。
「いまの若い子ってのはさ、マルとかバツとか、白とか黒とか、はっきりいってやんないとわからないんだよね。行間を読むとか雰囲気を感じ取るとか、そういうのができないんだな。『歯を磨いちゃった』っていったらわかりそうなもんだけどねえ。」とおじさん。話を聞いていた伯父伯母たちは、そうだそうだ、まったく、と共感していた。その場に悠紀ちゃんがいなかったので直接聞いてはいないが、僕には彼女の気持ちが手に取るようによくわかる。
恭一おじさんは「歯なんてまた磨けばいいじゃない。一緒に食べようよ、美味しいよ。」と悠紀ちゃんにいってほしかったのだと思う。夜遅くにものを食べるのは体によくない。ここは我慢するべきだ。だが娘が強く勧めるなら断っては角が立つ、申し出を受けようじゃないか。要するに、梨を食べるための理由付けがほしかったのだ。悠紀ちゃんに背中を押してもらいたかった。だから「いや、結構。」ときっぱり断らず「歯を磨いちゃったよ。」と曖昧な返事をした。
団塊の世代が皆そうなのか知らないが、少なくともうちの親も恭一おじさんと同じように、自分の行為を正当化しようとする。ちょっと贅沢に外食するときや、不必要な買い物をするときなんかに、「せっかくお前が帰ってきたから。」「お前が良いっていったから。」と僕を出しにしたがるのだ。親が遠回しに同意を求め、背中を押してほしそうにしているときの鬱陶しさったらない。「いちいち聞くなよ。」「そんなこと自分で決めろよ。」と思うが声に出すのも億劫だ。だからわかる——悠紀ちゃんはおじさんの微妙な心境がわからなかったんじゃない。むしろ的確に見抜いていた。そしておじさんのいい訳作りに加担するのが嫌で、わざと知らぬ振りをしたのだ。「で?食べるの?食べないの?どっち?」という彼女のことばは、おじさんに対する問いかけではない。「わたしの所為にしないで。自分で決めて。」という拒絶だった。行間を読み、雰囲気を感じることができていなかったのは、悠紀ちゃんではなく恭一おじさんの方だ。
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