20140904

A Life of His Son

 むかしむかし、あるところにアリの女王さまがいました。女王さまはとても頭がよく、とてもやさしくて思いやりがあるので、働きアリのみんなに愛されていました。みんなは大好きな女王さまのいいつけをよく守り、まじめに一所懸命仕事をしました。だからアリの国は、どんどん豊かになっていきました。女王さまはみんなの仕事ぶりと国の繁栄を誇りに思い、たいへん満足していました。でも女王さまには、ひとつだけ気になっていることがありました。

 去年の大晦日のこと、宮廷で盛大なパーティがありました。女王さまが毎年大晦日に、働きアリのみんなを招いて日々の仕事ぶりをねぎらい、たくさんのおいしいご馳走を振る舞うのです。みんなにとってはこの日が一番の楽しみでした。おおいに食べ、おおいに笑い、年に一度のパーティはたいへんにぎやかです。みんなの笑顔を見て女王さまもい気持ちです。
 夜が更けそろそろ御開きというころに、執事アリさんがやってきて女王さまに話しかけました。
「失礼いたします、女王さま。キリギリス氏が参っておりまして、ぜひ女王さまのお目にかかりたいと申しているようです。しかしながら、今宵は年に一度の宴でございます。出直させようと存じますが、いかがいたしましょう。」
女王さまはこういいました。
「通しなさい。寒い中やってきたのに、追い返しては気の毒です。」
しばらくすると、やつれていまにも倒れそうなキリギリスさんが、門番の働きアリさんに支えられながらやってきました。キリギリスさんは玉座の前にひざまずいていいました。
「女王さま。お腹が減ってたまりません。どうぞ食べ物を恵んでください。」
宮廷は静まりました。働きアリたちはみな苦い顔をしています。
 女王さまはキリギリスさんの陳情にどう応えるのが一番いか、悩みました。女王さまは、キリギリスさんが夏の間に働かず、ヴァイオリンを弾いたり歌ったりして遊んでいたのを知っています。そして働きアリのみんなが、そのことをよく思っていなかったのも知っています。食料庫には食べ物が十分にあるので、キリギリスさんに分けてやるのはたやすいこと。女王さまがいいつければ、執事アリさんが指揮をとり、みんなが手分けをしてキリギリスさんのために食事を支度し、寝床を整え、身の回りの世話をするでしょう。キリギリスさんのみじめな姿を見るとかわいそうで、いますぐに命じたいとも思います。でもそうしてしまったら、みんなは納得しないはずです。彼らは暑いさなか、不平をいわずにせっせと働きました。仕事をしないキリギリスさんが食べ物をもらえるとなれば、女王さまのいいつけ通りまじめに仕事をするのが馬鹿馬鹿しい、と考える者もいるかもしれません。
 キリギリスさんはすがるような目で女王さまを見ています。働きアリのみんなも、女王さまがどう応えるのか、不安そうに見つめています。女王さまは決めました。国が栄えたのは、ひとえにまじめに働く国民のおかげです。彼らの気持ちを一番大切にしたいし、彼らの士気を損なうようなことはしたくない。女王さまはキリギリスさんにいいました。
「私たちには食べ物があります。それは夏の間懸命に集めたものです。働いたから食べられるのです。ところでキリギリス、あなたは夏に働かず歌っていましたね。働いていない者が食べられないのは、仕方がないことです。」
働きアリたちはみなうなずいています。キリギリスさんは抱えられ連れていかれました。

 それからほどなくしてキリギリスさんは息を引き取った、と執事アリさんから聞きました。あのときの決断は果たして正しかったのか、間違っていたとしたらどうすればよかったのか、女王さまはいつも考えていました。何百という国民を抱える君主としては、あの裁定でよかったと胸を張れます。ただ、道義的にどうだったのかと問われれば、間違いだったといわざるを得ないのです。彼の命を救ってやりたかった。女王さまの後悔は、日増しに大きくなっていました。
 ある日、女王さまは働きアリのみんながうわさ話をしているのを耳にしました。
「キリギリス君は今日も遊んでやがったな。」
「やっこさん、あのキリギリスさんのせがれらしいぜ。ほら、去年の大晦日にきていた。」
「ああ、キリギリスさんとこの子か、いわれてみればよく似てらあ。野郎が働かねえのも無理はねぇ、性根も親父に似ているはずさ。」
「そうそう、きっとろくなもんじゃねえや。」

 キリギリス君はヴァイオリンを弾くのと歌うのが大好きです。ほかにはなにもいりません。毎日音楽に興じて楽しく暮らしていました。その日も木陰でヴァイオリンを弾いていました。すると執事アリさんがやってきて声をかけました。
「ごきげんようキリギリス君。私は女王さまの使いの者だ。女王さまから、君を宮廷に招くよう仰せつかった。ついては一緒にきてもらいたい。いかな?」
キリギリス君は困ってしまいました。働きアリのみんなは、いつもキリギリス君に向かって悪口をいい、はやし立ててからかいます。だからキリギリス君は、彼らのことが苦手でした。できれば関わりたくないと思っています。でも女王さま直々の命とあっては、断るわけにはいきません。一体なんの用だろう、キリギリス君は不安に思いながら、執事アリさんについていきました。

「お招きいただき光栄でございます。」
キリギリス君は女王さまの前で最敬礼をしました。女王さまはキリギリス君が緊張しているのを見てとり、優しく声をかけました。
「楽になさい、キリギリス。きょうはあなたに話したいことがあってきてもらいました。」
キリギリス君がうなずくと女王さまは続けました。
「私はあなたの父上を知っています。早くに亡くなりました。あなたが生まれる前のことです。父上は音楽の才能に溢れていましたが、働くことが好きではなかったようです。それが元で長生きできませんでした。夏に働かなかったために食べ物が尽き、冬を越せなかったのです。」
キリギリス君は会ったことのない父の話を、涙を流しながら聞いていました。
「あなたは父上とよく似ています。見れば見るほど瓜二つです。きっと音楽の才能は父上譲りのもの、父上は天国であなたを誇りに思っていることでしょう。」
キリギリス君は涙が止まりません。女王さまの話を聞いていると、父の姿が浮かび上がってくるようです。とても温かい気持ちになりました。
「でもね、キリギリス。わたしはあなたに父上と同じ道を歩ませたくはないと思っています。あなたにみじめな思いはさせたくありません。だから夏に働いて食べ物をしっかり蓄え、冬に備えて欲しいのです。」
キリギリス君はどう応えればいのかわからず、黙っていました。女王さまは話の本題を語りはじめました。
「 あなたは父上と一緒で、働くことを好まないと聞いています。このままではいけません。しかしつらい労働を続けることは、決して容易ではありません。強い信念がなければ、やりとげることはできないでしょう。さてキリギリス、わたしのもとで働いてみませんか。仲間がいれば困難を乗り越えられるはずです。あなたが夏の間に働きアリのみなとしっかり務めたならば、わたしが冬の生活を保証しましょう。つまり、もしあなたが望むなら、わたしたちはあなたを国民として迎え入れる心づもりでいる、ということです。」
女王さまは去年の悲劇を再び見たくはありません。でもキリギリス君にただ食べ物を分け与えてたら、働きアリのみんなが黙っていないでしょう。だから彼らが納得できる形で、飢えから守る必要がありました。そのためにはキリギリス君自身が働くのが一番です。そうすれば冬を越せるはず。これがうまくいけば、キリギリスさんへの罪滅ぼしにもなる。女王さまはそう考えたのです。キリギリス君は相変わらず黙ったままでした。
「いますぐ返事をする必要はありません。あなたの今後を左右する大きな選択です。帰ってゆっくりお考えなさい。何日かあとにまた使いを遣ります。そのときにあなたの考えを聞かせてもらいましょう。」

  父さん、僕はどうしたらいのかわからないよ。いっぺんにいろいろなことがあってキリギリス君の心は乱れていました。その晩はめそめそと泣くばかりで答えを出せず、疲れ果てていつの間にか寝入ってしまいました。次の日の朝、目覚めると気持ちは少し落ち着いていました。冷静になって考えられそうです。キリギリス君は、女王さまのもとで働く場合と断った場合の、それぞれの見通しについて、じっくり吟味することにしました。

 まずは働く場合。冬の生活が保証されるというのが一番の魅力です。まさか冬にひもじい思いをするなんて、考えもしませんでした。けれど、それがもとで父が早くに死んだのだ、と知らされた以上は無視できません。女王さまのもとで働いていれば安心です。でも歌ったり踊ったり、好きなときに好きなことができなくなりそうです。いままでの自由な生活はあきらめなければならないでしょう。そして働きアリのみんなと一緒に仕事をしなければいけないのも気にかかります。キリギリス君は彼らが苦手です。仲良くなれる気がしません。いじめられてしまうかもしれません。好きなことを我慢して、働きアリのみんなとの集団生活を我慢しなければいけないようです。
 一方で断った場合。一番の利点は、いままで通りに好きなことをして、毎日楽しく過ごせることです。なにも女王さまのところでお世話にならなくても、その気になれば自分一匹で冬に備えることだってできます。でも女王さまは「強い信念がなければやりとげることはできない」といっていました。そう考えるとなんだか自信が持てません。キリギリス君はいままでに、ことを成しとげたという経験がないのです。もしできなければ、父と同じようにみじめな最期を迎えることになります。そしてもし女王さまの話を断ったと知れたら、働きアリのみんなはキリギリス君につらくあたるような気がします。草むらで会ったときに、いじめられてしまうかもしれません。
 どちらの選択をしても、良いことと悪いことがあるようです。そしていずれにしても、働きアリのみんなとの関わりは足枷になりそうです。父さんならどっちを選ぶの?決めかねたキリギリス君は、そう考えるようになりました。天国の父にアドバイスを求めました。必死に父の気持ちを想像しました。

 数日後、執事アリさんが再びやってきたとき、キリギリス君の覚悟はもう決まっていました。すっきりとした表情です。身支度をして執事アリさんと宮廷に向かいました。
「ごきげんようキリギリス、気持ちは定まりましたか?」
女王さまの問いかけに、キリギリス君は深々頭を下げて応えました。
「はい、女王さま。どうぞ僕に働かせてください。精一杯がんばります。」
「そうですか、よく決心してくれましたね。あなたは正しい選択をしました。わたしはあなたを国民として迎えることができて、たいへんうれしく思います。」
キリギリス君はほっとして、女王さまに微笑みました。飢えに苦しんだ父でも、同じ決断をしただろうと思いました。働きアリのみんなとのことに不安はあるけれど、それはどちらの道に進んでもついてくる問題です。ならば自分の気持ちに正直になろうと考えて、決意しました。
「それでは…」
女王さまが続けます。
「あなたのヴァイオリンを預かりましょう。」
キリギリス君は狐につままれたような顔をして言葉が出ません。ヴァイオリンはキリギリス君にとってなによりも大事な宝物です。
「キリギリス、安心なさい。なにもあなたから一生ヴァイオリンを取り上げようというのではありません。あなたがそれを大切にしているのはよく知っています。でもねキリギリス、誘惑があると仕事に身が入らないものです。仕事が忙しい時期は、それをわたしに預けなさい。わたしがしっかり管理をして、冬になったら返しましょう。そうそう、冬にあなたの演奏会を開くというのはいかがかしら?きっとみなも喜ぶでしょう。」
キリギリス君はなんだか騙されたみたいで腑に落ちません。この間呼ばれたときに女王さまは、ヴァイオリンのことなんて一言もいっていなかったからです。でも少し考えてから、素直にヴァイオリンを差し出しました。女王さまは自分のことを大事に思ってくれています。だから女王さまの気持ちに応えたいのです。それに乗りかかった船、やると決めた以上いまさらごねるのはよくないと思ったのです。

 翌日執事アリさんに外回りを命じられ、キリギリス君は働き始めました。草むらをくまなく歩いて、食べ物を探します。食べ物を見つけたら合図をして仲間を呼び、みんなで力を合わせて巣まで運ぶのです。また仲間の合図を受けたらそこに駆けつけ、同じように運びます。体力のいるとてもたいへんな仕事でした。
 運ぶ物は多種多様です。昆虫の死骸、腐って木から落ちた果実、脱皮したトカゲの皮、花の蜜や樹液、人間のこどもが落としたキャンディやキャラメルなど。ほとんどがキリギリス君の体よりも大きなものでした。持ち上げるたびあっちへヨタヨタ、こっちへフラフラ。それも無理はありません。キリギリス君の脚は長くて筋肉も立派。天高くジャンプするときの瞬発力は抜群です。でも重たいものを運ぶのには向いていないのです。一方働きアリのみんなは小柄だけどとても力持ち。強い足腰で食べ物を軽々と持ち上げて、どんどん運んでいます。キリギリス君はいつも叱られ、からかわれました。
「やいウラナリ!ちんたらしてちゃ仕事の邪魔だ、どきやがれ!」
「ヒョロ緑!そんなのも運べねえようじゃ、晩飯はやらねえぞ!」
「このウスノロ!そんなとこでボサっと突っ立ってたら危ねえじゃねえか馬鹿野郎!」
不名誉なあだ名をたくさん付けられ、毎日乱暴なことばで怒鳴られます。怖くて悔しくて、みんなと仕事をするのが嫌で嫌でたまりませんでした。気分が落ち込んでいました。こんなときにヴァイオリンを弾けば少しは気が晴れたでしょうが、いまのキリギリス君にはそれができません。
 ある日の休憩中、キリギリス君は朝露に濡れて柔らかくなった葉っぱの芽を見つけてかぶりつきました。キリギリス君の大好物です。いつも運んでいる食べ物は、みんなにとってご馳走かもしれません。でもキリギリス君の口には合わずうんざりしていました。久しぶりに食べる新鮮な葉っぱの味は格別で、夢中で食べました。それを見ていた働きアリさんがいいました。
「よおデクノボウ、そんな気取ったもんを食ったって力がへぇらねえぞ。だからだめなんだよてめえは。ほれ、これを食え!」
彼が投げてよこしたのはタガメの内蔵と樹液を練って丸めた団子でした。こんなもの食べられないよ。キリギリス君は吐き気をもよおしました。そして同時に大切なことに気づきました。働きアリのみんなはことばが乱暴だし気性も荒い。すぐに手が出て喧嘩っ早い。でも本当はやさしくて仲間思いなのです。キリギリス君のことを思っているからこそタガメ団子をくれたのです。
 思い返せば、これまで毎日みんなに叱られ続けてきました。でも嫌がらせやいじめを受けたことは一度もありません。それどころか仕事のイロハをしっかり教えてもらいました。怒鳴られ、小突かれ、おしりを蹴られながらではあったけれど。女王さまのもとにくる前、キリギリス君は働きアリのみんなのことが苦手でした。働きはじめてからはみんなのことが嫌いでした。いまは違います。愛されているとわかったからです。キリギリス君はうれしくなりました。みんなのために早く一人前になりたいと思いました。
 
「キリギリスの様子はどうですか?みなとうまくやっていますか?」
「へえ、女王さま。うちにきた時分はずいぶんふさぎ込んでやがって、辛気臭せえ野郎だなんてことをいってたんですがね。近ごろは明るくなりましたよ。ほかの奴らとも仲良くやってまさぁ。ただね…」
「ただ?」
「ええ、よくがんばってはいるんですがね。なかなか力がつかねえ、どうにも要領を得ねえ。もっとも奴にしてみりゃ、もとの生活とはてんで違うことをやってるんで。あっしはゆっくり仕事を覚えりゃいじゃねえかと、そういって聞かせてるんですがね。あの野郎、ああ見えて案外生真面目なところがありまして、腕が上がらねえってんで焦ってやがるんすよ。」
「そうですか。あまり無理はさせないようにしなければなりませんね。あの子が仕事を続けられることが一番大切なのですから。」

 あるとき仲間が大きな大きなキャンディを見つけました。年に一度あるかどうかという大漁です。みんなは沸き立ちました。キリギリス君も張り切って加勢しました。かけ声を合図に、みんなでキャンディを持ち上げようとしたときのことです。キリギリス君がふんばった瞬間に自慢の後脚がバネのようにバチンと弾け、その拍子にキャンディを蹴飛ばしてしまいました。キャンディは勢いよく転がり、向こうにいた一匹の働きアリさんを押し倒しました。すぐにみんなで持ち上げて助け出そうとしたのですが、下敷きになった働きアリさんの体は、太陽に照らされベトベトになったキャンディにくっついて剥がれません。どうにか引き剥がしたときには脚3本と左の触角がちぎれていました。それ以来彼はまっすぐ歩けず、時計回りにクルクルすることしかできなくなってしまいました。
 僕のせいで仲間が怪我をしてしまった。キリギリス君は自責の念に駆られてひどく落ち込みました。
「おめえが気にするこたぁねえよ、奴がぼんやりしてたのがよくねえやな。」
「あのくらいのことはよくあるじゃねえか、いちいち気に病んでちゃ仕事にならねえよ。もう忘れちまいな。」
「やっこさんはてめえを恨んじゃいねえよ。なのにてめえがウジウジしてたんじゃどうにもならねえじゃねえか。」
みんなは乱暴ながら温かいことばで慰めてくれました。でもキリギリス君は立ち直れません。ついには寝込んでしまいした。この出来事が女王さまの耳に入り、キリギリス君は宮廷に呼ばれました。
「 たいへんなことでしたね、キリギリス。さぞ悲しんでいることでしょう。」
「はい女王さま。僕は自信をなくしてしまいました。いえ、もともと自信なんてありませんでしたが、もっとなくなってしまいました。僕はいるだけでみんなに迷惑をかけてしまいます。なのにみんなはとてもよくしてくれます。いまとなってはそれがなお苦しいのです。申し訳なくて…」
「あなたに外回りの仕事をさたのは少し酷だったようですね。向き不向きというものがあります。あなたの体は重たい食べ物を運ぶようにはできていないようですね。それなのに悪いことをしました。配置換えをしましょう。これからは食料庫で管理の仕事をなさい。」
「ありがとうございます、女王さま。僕に外回りの仕事は務まりません。実は頃合いをみてお暇をいただきたいとお願いに参ろうと考えていたところでした。でも女王さまのご配慮のおかげでこれからもやっていけます。がんばりますのでよろしくお願いします。」

 次の日からキリギリス君は食料庫で働くようになりました。ここでは力はいらないし、みんなと息を合わせて大きなものを持ち上げる必要もありません。自分のペースで仕事ができます。ただ大きな問題がありました。それは匂いです。ここにはあらゆる食べ物が運ばれてきます。アリのみんなの好物ばかりです。ところがキリギリス君にとってはたまらなく臭いのです。キリギリス君の好物は柔らかい葉っぱでした。虫も食べますが、飛んでいる蚊や小蠅をジャンプして捕まえてその場で食べるのです。アリのように大きな虫の死骸を食べたりはしません。ましてトカゲの皮や甘いものなんてもってのほかです。食料庫にはそれらの匂いが混ざっていて、いるだけで気分が悪くなってしまいます。それでもキリギリス君は、きっと慣れる日がくると自分にいい聞かせ、女王さまの思いに応えようと我慢しました。

 その年の大晦日。宮廷で恒例のパーティが開かれていました。働きアリのみんなが一同に会し、幸せそうにご馳走を食べています。女王さまは宮廷を見渡し、みんなの笑顔を眺めていました。そしてあることに気づき、執事アリさんに尋ねました。
「キリギリスの姿が見えませんね。どうしましたか?」
「はい、女王さま。キリギリスはこのところ体調を崩して臥せっております。 最近は特に塩梅が悪く、ほとんどなにも口にしていないという状態でございます。」
女王さまと執事アリさんが話をしているちょうどそのとき、一匹の働きアリさんがやってきて、執事アリさんに耳打ちをしました。執事アリさんの顔が険しくなります。
「どうしたのですか?」
「はっ、たったいま、キリギリスの容態がにわかに悪化したとのことでございます。女王さまのお目にかかりたいと申しているようです。」
「そうですか。すぐ連れていらっしゃい。くれぐれも丁寧に、体に無理がかからないように気をつけるのですよ。」
キリギリス君が働きアリのみんなに担がれて、玉座の前にやってきました。やせ細ったキリギリス君は、目をつぶり苦しそうに顔をゆがめています。起き上がることはできません。にぎやかだった宮廷は静まり返りました。みんながキリギリス君に注目しています。
「キリギリス、わかりますか?」
「ぁあ、女王さま…」
キリギリス君は消え入るような小さい声で応えます。
「キリギリス、なにかいいたいことがあるのですか?」
「女王さま、こんなにみじめな姿をお目にかけることを、どうぞお許しください。きっと僕はもうだめです。ですがその前に、どうしても女王さまにお話ししたいことがあるのです。」
キリギリス君は目を閉じたまま話しました。女王さまはキリギリス君の顔を見つめ、うなずきました。
「食料庫で仕事をするようになったころから調子を崩しました。はじめは僕の苦手な匂いのせいだと思っていました。でも匂いに慣れてもよくなりませんでした。」
話すだけで疲れるようで、キリギリス君はひと呼吸つきました。
「秋が深まると、働きアリのみんなが食料庫に運んでくる物のなかに、顔見知りの亡骸を見つけることが増えました。僕が草むらに住んでいたときの仲間たちです。」
息をひそめて聞いていた働きアリのみんながざわめきました。
「いえ、みんなが死んだ虫を食べるのは自然なこと、それはよくわかっています。僕が気になったのはバッタの仲間たちが次々と死んでいるという事実です。最初にトノサマバッタさんが運ばれてきたときはショックでしたが、単に運が悪かったんだと思いました。でもそのすぐ後にコオロギ君やオンブバッタ夫妻が運ばれてくるのを見て、ただごとではないと感じました。」
女王さまは黙って聞いています。
「僕の体は日に日に悪くなっていき、もはや歌うこともできないくらいに弱っていました。ある日、スズムシちゃんの亡骸を整理していたときに、力つきて倒れてしまいました。そのとき僕は確信しました。」
キリギリス君が少し間をおくと沈黙が宮廷を包みました。
「僕たちバッタは、もともと冬を越すことができないんです。遊んで暮らそうと、一所懸命働こうと、与えられた時間は変わらないんです。父さんは夏に怠けていたから冬に飢えて命を落としたんじゃない。寿命だったんです。」
キリギリス君は息も絶え絶え、でも続けます。
「僕はまじめに働きました。ヴァイオリンに興じていた時間を肉体労働に費やしました。冬を越すためにです。でもそれは意味のないことでした。僕は冬に死ぬ運命なのですから。僕が働いていた間に、ほかのバッタたちは結婚相手を見つけて、たくさん卵を生みました。来年の春には誰も生きていないでしょうが、彼らと血を分けた新しい命が生まれるのです。ところが僕は命をつなぐことができなかった。まったく馬鹿げたことです。女王さま、これは僕が自分で選んだ道です。女王さまにはとってもよくしていただきました。女王さまを悪く思ったり恨んだりしたことはありません。感謝の気持ちでいっぱいです。でも女王さま、ひとつだけお願いがあります。」
女王さまは身を乗り出しました。働きアリのみんなは固唾を飲んで聞いています。
「来年の夏もまた、働きアリのみんなが汗を流しているときに、キリギリスが木陰で歌っているのが気にかかることでしょう。でも、どうぞそのまま好きに遊ばせてやってください。」
女王さまは遠くを見つめて黙っています。働きアリのみんなは一様にうつむいています。執事アリさんがヴァイオリンをキリギリス君の胸元にそっと添え、持たせてやりました。キリギリス君はずっと目を閉じたまま、もうなにもしゃべりません。

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