20151217

The True Truth

 伊集院光が立川談志とラジオ番組で対談したときのエピソードを読んで唸った。少し大袈裟にいえば、そこには普遍の真理が記されていた。

“「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば(古典落語の演目の一つ。短く軽い話で特に若手の落語家がやる話)』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』(ともに真打がおおとりで披露するクラスの演目)ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらくして落語を辞めました。」
 黙って聞いていた家元が一言。
「うまい理屈が見つかったじゃねえか」
 僕はうまいことをいうつもりなんかなかった。ヨイショをするつもりもない。にもかかわらず「気難しいゲストを持ち上げてご機嫌を取るための作り話」だと思われている。あわてて「本当です!」といい返したが「そんなことは百も承知」といった風に家元の口から出た言葉が凄かった。
「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時のお前さんは落語が辞めたかったんだよ。『あきちゃった』のか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるんなら、自分にも余所にも理屈が通る。ってなわけだ。本当の本当のところは『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」”
伊集院光(2010),『のはなし にぶんのいち〜イヌの巻〜』,宝島文庫

 古くから懇意にしてもらっている、僕の親よりもちょっと若いくらいの夫婦がいる。ふたりは30年以上前からずっと、5ナンバーの国産セダンに乗っていた。その車はボディ、ホイール、タイヤからラジオアンテナにいたるまで、いつもピカピカに磨かれて傷ひとつなかった。機関のメンテナンスも抜かりなく施され、エンジン音は滑らかだしオイル漏れの気配もない。それはそれは大切にされていた。
 あるとき、久しぶりに会った婦人がメルセデス・ベンツの新車に乗っていた。
「車!どうしたんですか!?」
「この間ぶつけちゃってね。長いこと運転してるけど事故したのははじめてでびっくりしたわ」
「ええ!怪我はなかったんですか?」
「幸いなんともなかったのよ。車も大したことはことはなくて、部品があるから直せるってディーラーの人にはいわれたんだけど…」
「修理には出さなかった?」
「うちの人がね、猛反対して。お前は若くない、これからは衰える一方だからまたいつ事故にあうかもわからない、古い車で万が一のことがあったらと思うと心配だ、って」
「でもあのセドリックとお別れするのは辛かったんじゃないですか?」
「そうなのよ——あ、グロリアね——長い付き合いで愛着があったから。わたしは、まだ十分走るんだから買い替える必要はない、っていったのよ。あの人も手放すのはさみしいともいってたんだけどね。ことが起きてからじゃ遅いんだから覚悟を決めて新しい車にしよう、っていうのよ。で、なるべく安全性能がいいものを、となるとやっぱりドイツの車がいいらしいじゃない?高くつくけど背に腹は代えられないだろ、って。それでこの車を選んできたのよ」

 患者が一様に寝静まり、珍しく穏やかな夜勤。巡回してきた当直医も時間を持て余していたのか、ナースステーションに居座り、看護師たちと一緒になって世間話をしていた。彼は折り目正しい性格で、常に髪がきれいに刈られ、シャツにしわひとつない。一般的に医師の仕事は煩雑で長時間に渡るため、集中力が落ちたときにちょっとした抜けや漏れが生じやすい。そんな医師たちをバックアップして、間違いが起きないようにするのが僕ら看護師の大事な役目のひとつなのだが、彼についてはフォローなんて必要ないのではないか、と思ってしまう。いつも緻密、正確で抜かりがない。その彼と取り留めなくおしゃべりをしていて、話題は自身の健康管理になった。
「先生は気をつけてること、あります?」
「まあね、歳が歳だからね。糖質を摂りすぎないように、ご飯は110gって決めてるよ」
「え?毎回計ってるんですか?」
「そりゃそうさ」
「わあ、さすが先生、きっちりしてる!」
「性格だね」
「人間ドックとか定期検診とか、そういったのもちゃんと受けているんですか?」
「んー…」
「あれ?受けていないんですか?」
「内視鏡の検査は受けないね」
「どうして?」
「医者が医者を診るってのは嫌なもんなんだよ。君らも同業者に注射するのは嫌でしょ?それと同じだよ。何か病気になって治療してもらうんなら、まあ仕方がない、あきらめるけどね。胃カメラだの大腸カメラだの、病気じゃないのに検査をよその先生にやってもらうのはどうにも心苦しくてさ。だからいままで、僕は一度も内視鏡検査を受けたことがない。多分これからも受けないだろうな」

 僕にも思い当たる節がいくつもある。形のいい理屈で「本当の本当」に蓋をしてごまかす。談志師匠が「理屈なんざねェ」と結んでくれて救われた。本当に「本当の本当」をいえば、好きになったり嫌いになったり、始めたり辞めたりするのには、ちゃんと理由があるんだろうと思う。でもその理由を、みっともない、恥ずかしい、男らしくない、大人としてどうだ…自分で認められなくて、内緒にしておきたいから、いろいろと理屈をこねて格好をつける。ほとんど無自覚にやっていることだけれど、案外これが息苦しい。でも「理屈なんざねェ」ということになれば、いちいち御託を並べて取り繕う必要はない。細けえこたぁいいんだよ、手前のやりてえようにやんなよ、と師匠にいわれた気がしている。

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