20151225

Phillip & Butch

 青々とした草むらにおばけのキャスパーのお面が転がっていて、その傍らで汗ばんだ男が仰向けになっている。そよ風に草がなびき、無数の1ドル札がひらひら舞う。男がまぶしそうに目を開けると、太陽の手前でヘリコプターがゆっくり旋回している。
 映画「パーフェクト・ワールド」の冒頭のシーンだ。一見温和な雰囲気ではあるけれど、どことなく不穏な気配もあって気分が落ち着かない。

 クリスマスの朝、僕は病棟の廊下で立ち尽くしていた。カルロスはしばらく僕の顔を不思議そうに見ていた。でも僕がぼんやりと固まったままなので、あきらめてどこかへいってしまった。僕の頭の中では「パーフェクト・ワールド」冒頭の映像がずっと繰り返されていた。観たことさえ忘れていた映画のワンシーンが、突如鮮明に思い出されたことに驚く余裕なんてない。ああ、やってしまった。後悔と自責に支配され身動きが取れない。

 カルロスと出会ったのは、彼が3,4歳の頃。母親とふたりで日本にやってきてすぐ、母親が病気になって入院した。母親は日本語をほとんど話せず、頼れる親類も近くにはいない。カルロスは病室で母親と生活することになった。体調が悪く動けない母親にかわって、手の空いたスタッフが食事をさせたり風呂に入れたり、彼の面倒を見た。

 彼はどういうわけか僕に懐いていた。僕が歩けば一緒についてくるし、僕が座れば膝に乗ってきた。でも絶対に仕事の邪魔はしなかった。僕が他の患者の病室にいくと彼は入口で立ち止まり、処置が終わるまでおとなしく待っている。いたずらをすることはあるけれど決して度を越すことはなく、叱られる前にちゃんとやめる。走り回ったり大声で騒いだり、わがままをいったりぐずったりすることもない。彼はいつも行儀がよくお利口だった。

 母親はエホバの証人だった。医療者であれば彼らが輸血を受け入れないことは知っている。でもそれ以外の治療、例えば血液製剤は使えるのか、自己血はいいのか、血液透析はどうだ、といった細かい決まりごとについて、まったくわからなかった。当人に聞ければいいのだけれど、彼女は日本語も英語もだめ。治療に制約があること以上に、言葉の壁が回復を遅らせてしまった。

 母親は退院したあとも、定期的に通院して治療を受ける必要があった。何時間もかかる長い治療の間、いつもカルロスは病棟にいた。デイルームでテレビを見たり、年配の入院患者さんたちとおしゃべりをしたり、ときどきスタッフにちょっかいを出したりして過ごした。彼が小学校に上がって以降、顔を見ることは減ったけれど、土曜日や夏休み、学校がないときには母親に付き添って来院し、それまでと同じように病棟で母親の治療が終わるのを待った。

 あのクリスマスの朝。仕事を始めようと病棟の廊下で準備をしていると、カルロスが駆けよってきた。
「おはよう!」
「お!カルロス、おはよう。ひさしぶりだね」
ニコニコ笑っている。
「そうかそうか、もう冬休みなんだね」
「うん」
そして僕は、決して口にするべきでない言葉をカルロスに投げかけてしまう。どんな答えが返ってくるのかわかっていたのに。よそのこどもに尋ねるのと同じように、無神経に聞いてしまった。
「サンタさんに何をもらったの?」
「うち、サンタさん、こないよ」

 廊下は静まり返っている。とんでもないことをしてしまったと気づいた。彼の顔に表情はない。もちろん笑ってはいない。かといって悲しんでもいないし怒ってもいない。なにも感じていないというフラットな顔だ。彼はこれまでに何度も、同級生や近所の大人たちと同じやりとりをしてきたはずだ。ともすれば、この件で自分自身や母親を否定されるような、辛い思いをしているかもしれない。彼はもうこの話題に疲れている。触れたくないのだ。

 カルロスはいつも行儀よくお利口だ。明るくて愛嬌もある。でも本当はわがままをいいたいし、思い通りにならなければ泣き叫んで駄々をこねたい。飽きるまでいたずらをしたいし、思いっきり母親に甘えたい。それをずっと我慢して生きている。聡明な彼は、自分と周囲の状況を観察し、どう振る舞うべきかを常に考えて行動している。僕はそれを知っていた。だから彼の気持ちを最大限尊重したいと思っていたはずだった。なのに、このときの僕はそうじゃなかった。

 「パーフェクト・ワールド」は、脱獄犯——草むらで寝転んでいた男——と人質の幼い少年が、アラスカを目指し逃走する中で、徐々に心を通わせるロードムービーだ。少年は厳格なエホバの証人の家庭に育ち、ハロウィンに参加することを許されなかった。そのことで少年が悲しんでいると知った男は、少年が大好きなキャスパーの仮装をさせ、通りかかった家にお菓子をもらいにいかせてやる。

 カルロスに無慈悲な言葉を投げてしまった直後に、さほど好きでないし、思い入れもない「パーフェクト・ワールド」の映像に囚われたのは、エホバの証人がキーワードになったからだけではなく、あの瞬間の居心地の悪い静けさや不穏な雰囲気が、冒頭のシーンと重なったからだと思う。男は少年にハロウィンをさせてやった。他者の信仰を否定するのがいいことであるはずはない。でもあの物語においては、その過程でふたりの絆は深まった。果たして僕は、カルロスのために何ができるだろうか。

 クリスマスおめでとう。

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