ずいぶん髪が伸びた。どのくらいといえばいいか。世間一般には「サラリーマン失格」という程度。ずっと短髪だった。大学生のときは丸坊主だったし、その後も月に一度は散髪をして短くしていた。だがこの1年あまりはまったく髪に鋏を入れていない。
このところよく女性に「どうして髪を伸ばしているの?」と聞かれる。彼女たちは別になぜ僕が髪を伸ばしているのかを知りたい訳ではない。「短くした方がいいよ」と優しく諭してくれているのだ。ところが僕は、なじみの美容師が突然店を辞めて散髪するところがなくなってしまったからだと、あえてとんちんかんな返事をする。彼女たちのアドバイスに気づかないふりをしてまで、髪を伸ばさなければならない理由がある。
ここ数年抜け毛の量がすごい。最近は頭を手で触ると、頭頂部と側頭部で密度が違うのがわかる。つむじの辺りの毛が明らかに少なくなっている。しばらくは気のせいだと自分に言い聞かせてきたが、もう無理だ。認めなければいけない。僕は禿げはじめている。
僕の父は50歳を過ぎた頃から徐々に額が広くなりだした。65歳になったいま、彼はまだデコッパチという格好で、禿と呼ぶには時期尚早だ。父方の祖父は僕が物心ついたときにはもう立派な禿頭だった。父と同じように額から広がるタイプの禿だった。一方で母方の祖父も禿げていた。頭頂部から広がったことが伺える形の禿だった。そしていま、つくづく思い思い返されるのは母方の伯父のことだ。僕が小学生だったとき彼はおそらく40代。十分に禿と呼べるくらい頭頂部の毛髪が薄かった。
たくさんの人が抱いているであろう禿についてのイメージが僕にもあった。つまり「父方の家系の禿が遺伝する」と信じていたのだ。だから僕は、当然額から禿げるものと思っていた。そして、禿げはじめるのは父と同じように50代を迎えてからだろう、とのんきに構えていた。現実は違った。30代でつむじから禿ている。ものの本によると、母方の祖父と伯父がともに禿げている場合、その禿は1/4の確率で引き継がれるそうだ。幼い頃遥か大人に見えた伯父の年齢は、いま僕の目と鼻の先に差し迫っている。残された時間は少ない。ずっと長髪へのあこがれはあったけれど、いつでもできると思っていたし、長くなるまでが億劫に感じられて伸ばさずにいた。でも「いつでもできる」は幻想だった。伯父の道程を追いかけている僕にとっては「いましかできない」のだ。それに気づき、あわてて髪を伸ばして今日にいたる。駄目になるまでのわずかなひととき、長髪を楽しみたい。だいじょうぶだぁ時代の志村けんの心持ちである。どうか暖かく見守ってほしい。
この間ひさしぶりに会った友だちが、僕の髪を見て「スケベなイタリア人みたいだね」といった。長い髪をほめてくれる人もいるみたいだ。
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