20130319

A Pepper Mill

 去年イスタンブルで買ったペッパーミルがさっき出てきた。帰った直後にリュックから放り出したままになっていて、存在自体を忘れていた。一目惚れして買ったはずの品物を、あっさり忘れてしまういい加減さにあきれるばかりだ。
 イスタンブルの街をあてもなく歩いていると、合羽橋のような食器や調理器具の問屋街に迷い込んだ。その一角、金物を専門に扱う小さな店で、このペッパーミルを見つけた。筒状の真鍮製で、片手で握るとちょうど収まるくらいの太さと長さ。頭に付いている華奢なクランク型のハンドルを指でつまんで回すと胡椒が挽ける仕組みだ。受け皿を兼ねる末広がりの台座には花柄の彫刻が施されている。派手ではないが丁寧なつくりで存在感を放つ。古くから交通の要所として栄え、東西の多彩なスパイスが集まったイスタンブルで、美しいペッパーミルと出会ったら買わない手はない。

 僕はいつも成田の税関で止められる。係官たちがどんな基準で尋問する相手を選ぶのか知らないが、どうやら僕はその条件を満たしているらしい。どこにいったのか、何をしにいったのか、だれといったのか、と根掘り葉掘り聞かれる。そして必ず荷物を開けて見せろと指示される。イスタンブルから戻ったときもそうだった。若く実直そうな女性の係官にパスポートを手渡すと質問攻めにあい、リュックを開けさせられた。着古した洋服にまぎれたペッパーミルを目にした瞬間、彼女の表情が変わった気がした。高揚しているような、緊張しているような、笑っているような、一瞬だけそんな顔を見せた。
「これはなんですか?」
彼女が僕に聞いた。
「ペッパーミルです」
彼女の表情は硬い。
「ペッパー…?なんですか?私にわかるように説明してください」
「えっと…ペッパーミルです。胡椒を挽く…」
「???」
「ほら、ここをこうクルクル回すと下から胡椒が出てきます」
「ああ!胡椒を挽く道具ですか」
「そうそう、そうです。」
「ご協力ありがとうございました。結構です」
彼女は“いってよし”という顔をして見せ、僕は解放された。

 日本随一の国際空港で働き、さまざまな国からの訪問者と話をする機会が多いはずの彼女が、なぜペッパーミルという簡単な言葉を理解しなかったのか不思議だったが、そのときは気に留めず、いわれるがまま指示に従った。いま思うと、洗濯物の中からペッパーミルが出てきたときの緊迫した雰囲気は異様だった。彼女はこの真鍮製の道具をほかの何かと思い込んだのではないか。もしそれが薬物を吸入する器具に見えたとすれば、にわかに緊張感が高まるのもうなずける。ぱっと見た印象は、ギャング映画なんかで悪党がマリファナをぷかぷかやっているシーンに出てくる道具に似ていないこともない。生真面目な彼女にしてみれば、一人旅の怪しげな男の荷物から怪しげな品が出てきたのだ。見逃す訳にはいかないだろう。ともすると入職して初めての大捕り物になりかねない事案に緊張し、少しワクワクもしたのかもしれない。そう考えて思い返すと、僕を解放したときの彼女はほっとしたような、がっかりしたような、複雑な顔でいたような気がしてきた。そうか、僕は違法薬物を密輸している疑いをかけられていたのか。まさかペッパーミルひとつで犯罪者扱いをされるなんて。

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