20130312

Sauce

 「休みの日はなにしてるの?」同僚によく聞かれる。「なんもしてないっす」と僕は答える。すると決まって同僚は気まずそうな顔をする。僕は人に隠さなければならないような後ろめたい休日を過ごしている訳ではないし、その場の会話を避けるつもりもない。ただ何もしていないのだ。充実した休日を送っていないせいで 、会話が途絶え居心地の悪い思いをさせてしまって、申し訳ない気持ちになる。できることなら同僚と楽しく会話したいけれど、何もしていない休日をテーマに、あれこれと話をするほどの話術が僕にはないので、それ以上弾ませることができない。
 冬は元気が出ない。何もする気が起きない。だから休日には何もしない。もちろん誰かに誘われれば喜んで出かけるが、予定のない日は断固何もしない。前日までにおかずや酒のアテになりそうな食材を買い込み、準備を整えて引きこもる。気に入りのソファーに身をゆだねて根を生やす。トイレに立つのも億劫だ。映画や音楽を垂れ流しにして、昼も夜もなくぼんやりする。寒い時期、これが最高に幸せな過ごし方だ。
 引きこもりの事前準備がなおざりなまま休日を迎えてしまうこともある。休みを半分も残して食料が尽きてしまうのだ。買い物には出かけたくないので、そんなときは出前を取る。近所のとんかつ屋に弁当を頼むことが多い。揚げたてのとんかつにサラダやみそ汁をつけて持ってきてくれる。さほど安くはないが、美味しいしご飯の大盛りが無料なのでとても気に入っている。
 贔屓にしているとんかつ屋のことを、あまり悪くいいたくはない。でも弁当に添えられるソースの量については、難ありといわざるを得ない。蓋のついた透明のプラスティック容器に入れられたソースが、いつもあまりに少ないのだ。一切れずつソースに浸して食べたいが、半分も食べる頃にソースはなくなってしまう。とんかつに直接かけてもずいぶん足りない。これまで何度か電話で注文するときに、ソースを多めに入れてほしい、とおねがいをした。そのたびに注文係のアルバイト君は「ソース多めですね!わかりました!」と元気よく返事をしてくれたが、たっぷりのソースが添えられることは一度もなかった。もはや同じおねがいはできない。ソースくらい自分で買ってくればいい、という声も聞こえてきそうだ。ところがこちらは断固引きこもると誓いを立ててしまっている。外出する訳にはいかない。徒歩1分のコンビニに、ソースを買いにいくなど言語道断だ。仕方なく僕は現状を甘んじて受け入れ、ちびりちびりとソースを節約しながらとんかつを食べていた。
 あるときいつもと同じように、ソースの少なさに憤りながら美味しいとんかつを食べていると、誰だったかお笑い芸人が「とんかつに醤油をかけて食べるのが旨い」と話すのがラジオから聞こえてきた。勝烈庵の勝烈定食で育ち、ソースをたっぷりかけて食べるのが当たり前と認識していた僕にとって、その言葉は衝撃だった。まさかとんかつにソース以外の調味料を使う人間がいるなんて。味を想像できない。とんかつとソースは対の関係で、いわばタイヤとホイールのようなものだ。果たしてソースをかけないとんかつを、とんかつと呼べるのか。
 もしもソースの代わりに醤油を使って、とんかつを美味しく食べることができれば、ずっと悩まされ続け、いままさに直面している「ソースが足りない」問題は解決を見るかもしれない。しかし30代も半ばを迎え、柔軟性が失われつつある僕にとって、とんかつに醤油を垂らすのはとても勇気がいることだ。長い年月をかけ築いた、僕の中のとんかつ像が崩壊しないとも限らない。僕はとんかつをしばらく見つめていた。そしてひらめいた。「あいだをとればいいじゃないか!」
 間を取る。自分と相容れない他者を否定せず、互いに譲歩して穏便に問題を回避するために必要なスキル。組織の一員として働く中で培った。若い頃にはできなかった発想だ。歳を重ねるのも悪くない。とんかつを醤油で食べることは難しいが、間を取ることならできそうだ。ソースの入った容器に醤油を注ぎ箸で混ぜた。ソースと醤油の割合は3:2くらい。とんかつを一切れ浸して食べてみる。旨い。辛子を溶かすともっと旨い。

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