20130621

The Pine Tree Mansion, at Paddies of God

 帰省したときに、ひさしぶりの友だちと会うことにした。昔はよく一緒に深酒をした仲間だ、今度の再会でもぜひ飲みたい。ところがなかなか都合がつかず、会えるのは日中ということになってしまった。さて、明るいうちから酒を飲めるところは…、少し考えてひらめき、神田で会おうとメールを送った。

 幼い頃、神田の交通博物館に連れていってもらうのが好きだった。本物の電車の運転席をそっくり移植したシュミレーターで運転士になりきったり、戦闘機のコックピットに入ってパイロットになりきったりできた。広大で精密なジオラマの中を走る鉄道模型を見つめていると、時間が経つのを忘れた。僕にとって夢の世界だった。
 土曜日、午前中に幼稚園が終わると、そのまま父の運転する車で神田に向かう。博物館にいく前には決まって「まつや」で昼を食べた。大人の雰囲気が漂う老舗の蕎麦屋で、カレー南蛮や親子丼をひとりで全部食べきれることが当時の僕の自慢だった。自分も大人の一員のような気になれた。蕎麦打ちを見るのも楽しみだ。奥の小部屋で白い帽子に白衣、下駄履きのお兄さんが蕎麦を打っている。丸く練った生地を長い麺棒で伸ばし、粉を振って畳んでまた伸ばす。生地が薄く伸びると形を整え、板を添えて包丁で細く切る。トントントンと小気味いいリズム。丸い生地が細長い蕎麦になるまで、お兄さんの所作には一切無駄がなくスピーディだ。その手さばきがたまらなく格好良かった。

 昼間に酒、と考えて「まつや」が浮かんだ。あそこにはいつも、焼き海苔や蒲鉾を肴に昼から飲んでいるおじさんたちがいたのを思い出したのだ。蕎麦屋で飲むなんて30代の僕らにはまだ早いとも思ったが、ちょっと背伸びがしたかった。
 引き戸を開けて中に入ると「いらっしゃーい」と独特の節で迎えてくれる。およそ30年ぶりにやってきた思い出の店は、ずいぶん狭くなったみたいだった。それだけ僕のからだが大きくなったということか。卓と腰掛け、壁、天井、立派な柱時計はまったく変わらない。奥の蕎麦打ち場も昔のままだ。いまどき珍しくどの席でも煙草が吸えるようで、すべての卓に陶器の灰皿がすえられている。昼時は過ぎていたので混んではいない。通された席に座り、ビールの大瓶、焼き鳥、蕎麦がきを頼んだ。注文を聞くエプロン姿のお姉さんも昔と変わらない。

 斜め向かいの席に、いかにもお金持ちというなりをした初老の夫婦がいた。夫が妻に蕎麦の食べ方について、講義をしているのが聞くともなく聞こえてくる。「蕎麦をつゆにじゃぶじゃぶつけるんじゃないよ、半分ほどをちょいとつけて一、気にすするのが粋なんだ。」「そんなに噛んじゃだめだ、蕎麦は喉越しが大事なのに。」美食家気取りの男性のたれる講釈が、あまりにも型通りでおかしかった。妻にしてみれば、ガミガミいわれながら食べる蕎麦は美味しくなかっただろうが。
 美食家は帰り際、お姉さんに「蕎麦屋が煙草を許してはまずいんじゃないか?」と投げかけた。お姉さんが愛想笑いをしていると美食家は続ける。「煙草のせいで蕎麦の香りが…」いい終わらないうちにお姉さんが口を開いた。「あいすみません、うちは昔からこうさせてもらってまして。あいすみません。」笑顔ではあるが断固たる拒絶だった。

 がらりと戸が開くと上下ジャージに草履という薄着の男性が「うー、さむさむ」と身をすくめて入ってきた。職人気質な江戸っ子という風情だ。角の席にいた別の客と顔なじみらしく、二言三言交わしてから奥の席へ向かった。男性が席に着くなり、お姉さんは銚子と猪口を差し出す。
「よお、ありがとさん。」
「どうします?」
「んー、きょうは冷えるから…」
「鍋焼き?」
「おう、それだ。うどんは柔らかくな。」
「あいよ。」
実にテンポよく簡潔なやり取りを終えると、男性は煙草に火をつけて旨そうに煙を吐き出した。それから酒を手酌し、アチチといいながら飲みはじめた。

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